2022年 09月 16日
絶妙に |
絶妙ににぶくありたし秋の空
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友だちが誘ってくれ、東京から来る友だちと連れだって、生誕110年の彫刻家、佐藤忠良さんの展覧会に行った。一緒に行った友だちは、もう亡くなったがお父さんが彫刻家で、年としては佐藤さんの後輩に当たる世代だ。難しいことはわからないが、佐藤さんは作風を見ると、抽象専門だった友だちのお父さんとは異なり、フランス近代彫刻のビッグネーム、ロダンの影響を受けた、日本のパイオニアのような彫刻家、高村光太郎とか荻原碌山など一連の流れの、下にある彫刻家なのだろうと想像した。友だちのお父さんも、佐藤さんが中心となり設立された会に属していたということで、それもあり今回は呼んでくれたところが大きかった。ま、わたしはおまけだが、一緒に誘ってくれた。そういうシチュエーションで彼女と行ったので、併設される常設に展示された、他の彫刻家さんの作品を見ている時などは、これはちょっと面白い作品だねと見ていると、ああ、これは何々さんの作品なんだとか、別の方の作品の前では、この人は父の親友でよく家にも来てくれた、あの父とは違いすごくおもしろくて好いかただったとか、普段は彼女から特別そんなには聞けないようやことも聞け、誘ってくれた友だちもそうだったろうが、わたしも嬉しかったし楽しかった。
縁があり彼女たちとは、大学で同じ部活になったわたしだが、芸術には素養もなく疎い。なので、佐藤忠良さん、さとうちゅうりょう、と読むが、わたしなど彫刻家となると、画家よりも更に知っているひとの名前は少なく、今回誘われてみてはじめて、その存在を知ることができた彫刻家だった。
“群馬のひと”という作品で、初めて日本人により日本人を、真に捉えた彫刻が生まれたというように、大きく評価された人だとも知った。佐藤さんが四十歳頃の作品だ。わたしみたいなひとも少なくないかもしれないが、女優の佐藤オリエさんのお父さんであるとか、大きすぎて根が深くはりなかなか抜けない蕪を、おじいさん、おばあさん、若い娘、最後は動物までが加わり、一緒になって引っ張ってようやく、最後に蕪が抜けるという、よく知られたはなしの、あの絵を描いたひとだと言えば、ああ!!、というひともいるだろう。最初は画家を志し、後から彫刻家に転向したようで、そのせいか絵本にもずいぶん作品があるようだった。大きな蕪は、何となく外国の作家の絵のように思っていたが、シベリア抑留体験があり、ロシアへはなじみが深い。ロダンのような西洋彫刻と近いところにあることを思えば、ああいう日本人とは思えない絵となるのも自然なものなのだろう。絵本など見れば、戦争を描いたものもあり、ヒューマニスト的な面も強くて、芯はとても真面目なひとで、生きるということへの思いが深いようだった。
群馬の人のほか、一連の大きな帽子を被った、上半身だけ裸の、あまり肉感的ではない、清々しいくらいに清潔な感じもする若い女性像、大きな蕪、この3つの作品を核に三部構成で展示がされていた。そのなかで、ロダンやドガやモジリアーニほか外国の多数の、佐藤さんが惹かれて手に入れて、長らく向き合い眺め、会話し、対峙しながら、じぶんの創作にも向かったであろう、彫刻家や画家の彫刻や素描や絵なども、並べられていた。そこにはまた、佐藤さんがその作家や作品について、作品から見てとれる姿勢や態度や稀有な才能を語った、文章が引用されたりもしていた。
そのなかでも、特に印象に残った談があった。作品を見ていて、ある作家を指して、このひとの❨思考や作る❩方向というのは、変わるのでなく、深まるほうに向かうのだ、ということにあらてめて、気づいたというようなことだった。成長や発展とも同義に捉えられ、一般にはめざましく変わることばかりがよしとされる、そういう考え方へのアンチテーゼというか。地味で目立たなくてもゆっくり成長してゆく、世間の流れに焦ったり追われたりせずに、じぶんの信じるものをただ根気よく追い求め、究めていけるような精神性。そういう愚直なくらいの在り方のほうを、むしろ好ましいと思えるというようにも聞こえて、そういうようにも思うひとなんだなと。作品を見ながら、抱く思いのようなものに触れると、また作品を見る見方も、心が作品にいちだんと近づく感じがする。生で実際の演奏に触れるように、ふっとその世界が近くなり、なかに入り込めそうな気もしてきた。
変わるより深まることをと、佐藤さんが感じた彫刻家は、シャルル・デスピオだった。図録にその文章を見つけたから引用しておく。
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もう五十年近く前になるが[執筆時佐藤忠良は69歳]、私たちは実物のヨーロッパの新しい彫刻を見ることができずに、ひたすら写真を見ては興奮し、手さぐりのまねをしていたものであった。そのころ私はブールデル、マイヨールなどのつまみ食いをしたあげく、デスピオにいかれてしまった。いまだにその尾をひいているようである。
同じモデルという自然とのかかわり方でも、デスピオはジャコメッティのような抉り出しては消去する激しさとは対極にある。モデルの中へ入り込んだまま語るうちに、デスピオ自身の自刻像となってしまうといったふうである。❨中略❩友人や知人の同じ人の顔を幾つも作っている。彼には変わることよりも、いかに深くなるかだけが課題だったのではなかろうか。てらわず、媚びず、この平凡なことが、私などにはとても難しいのだ。
――佐藤忠良「わが心の肖像十選❨4❩シャルル・デスピオ ベルテ・シモン嬢」『日本経済新聞』1982年5月1日
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ひとは、無理に別に変わらなくても、いいんでしょうね。未だにそう思えると心強いわたしだ。
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皆さまにも、わたしにも、
けふがよい1日になりますやうに!
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by 828summer
| 2022-09-16 05:28
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