2019年 01月 12日
おいしくなあれ! |
今日はもう三杯もコーヒーを淹れて飲む。珍しい。いつもはよく飲んでも二杯めまでだ。いつしか家でのコーヒーとのつき合いは、インスタントを買わなくなり、飲むなら必ずペーパードリップで淹れるようになった。それでも長くミルを持ってなかったので、豆は粉で買うだけだったが、去年だったか一昨年くらいから、ようやく安いセラミック刃×透明アクリル樹脂製のものを買ったので、豆で買いじぶんで挽いてから淹れるようになった。ドリッパーはたぶん3個め。カリタ、メリタ、そして今はスタバのいずれも陶器製。カリタとメリタは、どっちがどっちか忘れたが、一穴と三穴と形状が異なり、長くホールドする分、一穴はよく抽出されるが雑味も加わる、三穴は早くお湯が通り抜ける分、あっさりと入るが雑味は少ない。そんなことを買うとき教わった。豆の挽きかたの粗い、細かいでも、同じような働きをする。わたしはスタバでよく買ってた頃に、挽き方がそれまでより細かくて、淹れ終わった後にドリッパーに残った、粉が艶やかな泥のようになった状態が、何だか面白くて、以来はじぶんでも同様に細く挽いている。スタバは一穴だから、より湯が豆をホールドしている時間は長くなるはず。わたしは湯の量は多目に淹れて飲む。
今日の三杯めは、ミルにも、湯を注ぐ時のドリッパーにも、きちんと正体して、おいしくなあれ、おいしくなあれと、言いながら、何となく淹れてみる気になった。味の変化はよくわからないが、蒸らした後に最初にお湯を注ぐときだけは、若干いつもは感じられない、空気が入り音を立て粉が膨らむ感じがした。正体してゆっくりと、おいしくなあれは、案外に伝わるような気がする。
一昨日お正月に買ったウスケボーイズを読み終えた。よいワインとよいワインづくりをよく知る、日本の第一人者のようだった先生❨麻井宇介さん❩のその薫陶を受け、自らその弟子を名乗り高い志で、今の日本の小規模でのワイナリーの発展と隆盛を、刺激し牽引してきたと思われる三人の作り手の、大学院時代の出会いの頃から成功しはじめる頃までの、歩みを描いたノンフィクションだ。読んでいるとワインというのは、ぶどう次第なのだ、農産物だったんだ。そして生食用でない、ワイン用ぶどうがあってこそなんだということが、まず分かる。今ではわりに当たり前になったそのことが、日本ではほとんど0に近い状態だった、90年代から彼らの挑戦❨ワイン会などのワインの勉強。独立は2000年に入る前後なのかな?❩は始まる。たった20年そこらで隔世の感がある。ワインフェスなどにたまに行くわたしには、ほーっと、そう言えば国産ワインなんて二級品にすぎないと、ちょっと前まではそんな時代だったことを、すっかり忘れていたことに気がつき驚いた。
ウスケボーイズの三人は、だいたい今みな四十代の後半になるが、畑作りから一貫してワインまで自ら製造する作り手だ。いまはそれほど珍しくなくなったかもしれないが、彼らが始めた頃は日本ではまだ革新的だった、小規模のワイナリーに挑戦してきた。その過程は苦難と、試行錯誤の連続で、中でも岡本さんという全くの0から施設をじぶんで興し、ワイン作りをはじめた人物は、まさに極貧で働きづめの妻は疲れて彼から去ってしまい、ぶどう作りとワイン作り以外には何もないような、ミニマリストのような求道的な、修道士に例えられるような、独り孤独に打ち込んで独自のスタイルを築き上げていく。彼ほどじゃないがほかの二人も似たようなものだ。血道をあげて打ち込んでしまう魔力が潜むらしい。
今は三人とも家族を持ち幸せに暮らしながら、更に独自のワイン造りを進化発展させていることが、単行本化から8年を経た文庫化のため、著者による今現在を反映した後書きからは知れて、たいへんな過程を追って詠んできただけに、ああ、よかったなぁと、思うボーナス付きでもある。ワインを飲む上でよく知らなかった、国産ワインだの、酸化防止剤無添加の意味する曖昧な耳障りのよさと云う盲点も、今更ながらにわかったりもした❨ただし国産ワインの定義は文庫化に至る過程で、一般のひとが想像するのに近いものに変わったらしい❩。
おもしろかったので、興味のある人にはお薦め。翻訳家の鴻ノ巣友季子さんが、紙幅がぱつぱつになるほどに使い、熱のこもった解説を書いている。ワイン好きらしい。ちなみに、わたしが一番に惹かれたのは、岡本さんのスタイルであり、そのワインだ。既に読まれた方や、これから読む皆さまは、誰と誰のワインに惹かれるだろうか。確めてみてほしい。
だらだら書いたがおしまい。
by 828summer
| 2019-01-12 19:02
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