2018年 10月 17日
嫌いにはなれないが仕事は一緒にしたくないという人もいるな(C日記⑧ 53日め) |
今日は外注さんとやり合ってしまった。「わたしだって、やり合いたくなんかないが、誰も代わりにそのことを言ってくれないから、仕方ないからわたしがその度にやり合っている」、と今日はつい、親切な言葉をかけてくれた営業さんに言ってしまった。わたしが外注さんとある種やり合った後で、リーダーが様子を聞くので、毎回毎回彼女は変な事は言ってくるが、業務的に頼んだ事は気分次第で反古にし、変な理屈でうやむやにしてくる。これこれこういう調子だ。これが続くとほんとうに業務に支障が出かねない。不確実で当てにできないのが一番困っている。この手のやり取りは、どんなに説明しても少し経つと、また同じことの蒸し返しになる。いかに理屈の通じない相手か、そんなのは彼女だけで、でも彼女もいなければ仕事にはならない。それで今まで定期的に、どれほどわたしが困らされ、困らされたって別に仕事だからいいが、してもらわないと困る事がしてもらえず、困るのでそのことを伝えるとやり合っているというような状況になるのだと伝えたのだが、その状況の真の意味が分かっているのか、少なくともわたしの気持ちは分かって貰えず、少し経ってから上司風を吹かせるような物言いで、変な方向から気持ちを逆なでするようなことを言ってきた。大概いつもそうではある。そしてリーダーはいつもその外注さんにはいい顔をする。口がうまいので丸め込まれる。それもけっこう困っていることなので、こんな気持ちのときに、そこでそんなことを言わなくてもと、わたしは悲しくなるよりは不満が思い出され、それに対しては、はい分かりましたという返事になならなくなってくる。それを聞いていた、今日は新しい方の営業さんが、「何か僕に出来る事があれば、何でも言ってください。力になりたいと思っています」、と言われたのだ。それへの返事が最初のそれ。後になって考えれば、ありがたいのだが、出た言葉がそれだったのだ。
わたしはけっこう穏やかな方だと思うのだが、仕事のことや、何も悪くない人が不当に扱われているのや、家族や動物や、そういうものに対する脅威に対しては、好戦的なる方だと思う。性分のようだ。
後でよく考えたら、わたしだって、その外注さんは憎めないところがあり、普段は嫌いではないのだと思い出した。だけど仕事はほんとうに、一緒にしたくない人ではあるのだ。まず仕事を守りたいので困るので戦ってしまうのだ。リーダーはひいては会社が困るのだが、直接的にじぶんの仕事ではないので、このわたしの気持ちが伝わらず、わたしが憎めないので彼女じたいは嫌いにはなれないという、その部分だけで外注さんを見ているので、分かってもらえないのだと思う。今日はじめてその事には気がついた。統括責任者というのは、会社の業務に支障をきたすというのを、もっと自分のことと身に迫って捉えるもんだと、そういうのがわたしの固定観念になっていたので、そのように感じられないリーダーにも腹がたってもいたのだろう。でも実際は相手はそこまでの感覚では感じていないのだ。直接に一緒に仕事をする人じゃないから肌で感じないのだ。そのことがようやく分かった気がした。想像力ってのはその程度の射程距離しかないのだ。ちょっと納得できた気づきに至ってよかった。きっと営業さんの一言があったからなのかなという気がする。陣容が変わると違う風が入ってきたりするのかもしれない。
きっと読んだ人には何やら分からない話をしたと思う。わたしの頭の体操(古いフレーズ)だったと許してもらい、今日はだがわたしは、これからはあまり職場では、独りで戦っていると思わずに、もっと職場の潜在力をこれからは借りることを考えて行こうということを、苦手だと長く思っていた営業さんの言ったことに、後からはっとさせられた出来事でもあったとだけ理解して貰えたらうれしい。これ以上書いてもまとまらないし、ここから遡りうまく前を説明することになるような、うまい適切なことも思いつかない。なのでもうここらでやめる。明日は良い日になりますように、おやすみなさい😌
by 828summer
| 2018-10-17 21:56
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