2018年 08月 17日
平常運転(C日記⑦ 48日め) |
翌日日記。前日に何かあったかなと思うが、大したことが殆ど思い出せない。無理にねじくり回さずに。外部に繋がるのは、テレビとブログと本だけだった。そのテレビもただ甲子園は流れているくらい。今年はNHK とBS 朝日で交互に観た。吹奏楽部の演奏が何気に楽しいと知った。未だにわたしの時代の定番が多いようだ。また新しめのじぶんの好きな曲に出会うと何となく嬉しくなる。それぞれの学校のレパートリーが当たり前だが違うのだろう。あれはどこの学校だったのだろう。最近と言っても、ここ数年のうちになるが、わたしに唯二つ加わった、カラオケの新レパートリーの1つ、オクラホマミクサーみたいな、AIのみんながみんな英雄。あれが演奏曲に加わってるのを聴いたときは嬉しい気がした。どこの試合だったのだろう。また聴けるだろうか。
あとは朝ドラ。NHK は日に四回もやる。あちこちで観た。わたしの好きな、かんちゃん週間だったような。特に和子さんの部屋のまえで子守唄だと歌う回は泣かされた。でももう残りも40日ほどだ。×7分の6日の放送回数。名残惜しい。今度はわき役をみんなどんどん好きになる。お母さん役の松雪泰子が好き。庶民的で愛情深い。美人で知的な役柄が、若い頃は印象が強かったが、わたしはフラガールの先生役と、この朝ドラのお母さんがキャラまで、しっかり印象に残っていてすき。律のお母さん役の原田知世も、また今度の役は病気という、悲哀にも終盤は見舞われるのだが、哀しさを秘めながらおっとりやさしい、コミカルさは変わらずでとてもいい。歌もうまいが、あまり欲はない感じのナチュラルな役者さんだが、しみじみ地味な演技が光りうまかった。またすごく美人さんなんだなと、改めて今回知った気がした。今週にはとうとう生涯を閉じてしまったが、おじいちゃんの中村雅俊も、おっとりユーモラスな、ひとの良さが光った。死んだあとも、亡骸を笑わせられたりし、遺影になっても、その目の前で物を取ろうとし、よろけて転ぶ嫁を、あぶないっ!!、とおろおろと心配して思わず、写真の中で百面相させられる。わたしのわき役ベストフォーだな。他は言い出せば終わらなくなる。最早はなしの筋が迷走しても、まったく気にならなくなり、サザエさんのように、このままずっと、終わらないでいてほしいくらいだ。
まぁ、わたしは相当に、普通の在り来たり過ぎることを、暇をいまは愉しんでいるようだ。わたしも大人になったのかなぁと思ったりもするが、いや本来のじぶんが、かかっていたバイアスやフィルターが外れて、出てきただけなのかもしれない。いま手元にないが、ワカメちゃんカットの、まだ幼い子どもの頃の、縁台に乗っかって座って写る、わたしのある一枚の写真の表情を思い出す。何となくむかしから、あのわたしが一番わたしらしい気がどこかでしていた。のほほんと柔らかい穏やかな、我のかけらもないような表情で、茶の紙袋の口をのぞき込んでいた。何か美味しいもの、いいもの入ってるかなと、無邪気そうに。あんな気分で生きたいものだという、長年のあいだ、心のどこか片隅に、いつも貼り付いてある、原点のような写真だ。
もうだんだん悦に入らないうちに、モノローグもおわりにしよう。今日のところはこのあたりで。読んでくれたひとにはほんとうにありがとう。新しい日が、ラスニになったこの土曜がまた、みなさまにもわたしにも、それぞれによくありますようにね
by 828summer
| 2018-08-17 13:50
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