2018年 08月 13日
涼しいお盆なような(C日記⑦ 44日め) |
13日の昼間ふと見れば、玄関の戸に蝉が止まっていた。背中に目があるみたいな妙に感じる蝉。虫もよく知らないが、何ていう蝉だろうな。あら、あなた、来てるのねと声をかけた。亡くなったひとはお盆には虫になって帰ってくるとも聞く。少なくともお盆には虫と言えども殺さないように、無用の殺生をしないようにという、仏教的な教訓として方便に使われてるような気もしないでもないが、普段見かけないものが、お盆になった途端に、そこにいたりするのを見つけると、そんなことをつい連想してしまう。一匹なので、誰だろうな、お父さんかな?、お母さんかな?、お祖母ちゃんかなぁ?と、考えたりする。生前に会っている、うちの仏様はこの三人だけなので。何かこんな風にお盆って不思議で、やさしいあたたかい気持ちになる、不思議な時空間に入るような感覚になる。
あの暑さはどこに行ったのだろう。木に囲まれているわが家は、風が通り抜けるように、あちこち開け放しているのもあってか、お盆中はかなり涼しい。3時半過ぎにまだだるいが、重い腰を上げて、お墓掃除に行った。脇に迫って立つ木の幹と根元を足がかり手がかりに、よいしょとお墓の上に乗って、石塔や墓誌や、それらの載った墓の足場のような全体を、雨風やら日々受けて埃や土や塵が付着しているので、まず掃いて払いきれいにする。そのあとは洗車ブラシで、石塔と墓誌の部分を丁寧にこする。こんないい加減な墓掃除をするのは、わたしくらいかもしれないので、ひとのいない時間にこっそりやるのが具合がいい。無縁のようになっている、誰のどの家のともしれない墓が、やはり親の生きていた時から、十ちょっとあるので、そちらも洗車ブラシで、お顔を拭く感じにちょいちょいと。そうしてるうちに、また夕立らしきがぱらぱら来たので、荒くだけ草むしりをして帰ってきた。ワイルドな田舎の共同墓地の風景はこんなです。
それからはまぁ筋金入りのずくなしさんも、ノンストップに働いた。お供えしないといけないから、お米を洗いおしかけしてから、野菜の煮物を煮始めて、神奈川の港から送ってもらったお魚の荷も開けて、じぶん用とお裾分け用の四つに、ジップロックで仕分けした。わりにたくさん送ってもらうので、じぶん用に食べきれない分は冷凍庫に入れてから、近所にお裾分けを届けに行った。お墓に行く準備もしないといけない。これもよそのひとは、水や花やら持っていくが、わたしは簡単でお線香とかんばだけ。我が地方は迎え火用に白樺か、とにかく何か樺の樹皮=かんばを焚く。剥がした樹皮は、自然に丸まっているが、長いまま売られるているので、燃やすには細かく切っておかないといけない。お墓に行って、ご飯を作り、お供えしてじぶんの食卓も整えたら、もう八時も回っていた。仏様にはよく来てくれましたね、今日もだけどたぶん明日からも大したものは、作れないかもしれないけど、毎日少しくらいは頑張りご馳走しますから、ゆっくりしてって下さいね、なんて言ってお線香をあげて、じぶんもすかさずお腹すいたと言いながら食べた。アルコールかないので、少し早いが待ちきれずに、最近から飲み始めたじぶんが作った梅酒を、例の冷茶割りにした。まあまあ。
そんな迎え盆でありました。14日はわたしは寝正月ならぬ寝お盆です。楽させてもらいます。今日のところはこのあたりで。読んでくれたひとにはほんとうにありがとう。新しい日が、旧盆中日の14日がまた、みなさまにもわたしにも、それぞれによくありますようにね
by 828summer
| 2018-08-13 13:31
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