2018年 07月 07日
会うと元気の出るひと(C日記⑦ 6日め) |
ボランティアの後に、夜から前のクリスマスに会って以来で、ほぼ半年ぶりにHちゃんに会った。会って色々と話してたら、最近のくすぶってたものが、自然と発散されて抜けて、気持ちがすごく軽くなり、一晩にして元気が出ていた。友だちってありがたいなと思った。まぁ、今のわたしの友人では、人を頼るのが下手な、我の張りかた的にも似ていて、同じようなレベルの暮らしぶりの、年も近い、気兼ねなく背伸びせずに、あることをあるままに近く普通に喋れる一番の友だちかも。悲観と楽観のない交ぜさが似ていて、結局最後はじぶんに都合よく捉える考えを見つけてきて、多少凹んでも長くは凹んでられず、雑草のように復活してきて均衡を保ち、それなり愉しく暮らしてしまう。
どんなタイプの友だちも、じぶんだけじゃ知らなかった世界を見せてくれ、教えてくれ、じぶんを豊かにしてくれ、わたしにはすごく大事な存在。遠くなってしまうこともあるが、わたしはなるべく付き合いを緩やかでも続けていたい。Hちゃんはその点は寧ろ逆のひとなので、そんな話を昨日はHちゃんとの話で、言われて気がついた。まぁ、わたしは言いたいひとが、そんなの負け惜しみじゃんと言うなら、そうじゃないとも言わないけど、むかしからの友だちやその後も縁があってできた友だちを、負け組、勝ち組とか、あまり区別してはどうとか思わない(圧倒的にわたしは負け組だとは思うが、わりと平気だし恥ずかしくもない)。向こうが普通に付き合ってくれるなら喜んで付き合う。とは言えだんだんに年がいくほどに、この10年くらいが特にそうだが、わたしの人生史上は境遇の激変期だったので、ふとした折りに違いを意識もすることが増えてきた。前なら普通に言ったことも、きっと分かってもらえないなと、敢えて言わないこともあるし、そうやってじぶんの出し方が、ちょっとずつ変わるのは自然な変化だった。その意味で前よりこの10年に、距離が近くなった友だちもやはりある。形而上の友だちと形而下の友だちという感じかな。生活のこと、身近な属性を超えて、楽しめる話もしたい。Hちゃんは両方の部分で話ができる。どっちも日常に埋没して暮らす身には会うと元気の出る友だちかもしれない。あと妹や。Hちゃんは内省的で独立独歩の行動力のあるひとなので、凝りのかたまった心が揉みほぐされ、数時間のお喋りがすごく実り多く感じられる。そう言えばいつもはHちゃんの守備範囲、特に犬ものや、Hちゃんも食べることが好きなひと、食べたりの生活ネタ中心の、コミックエッセーのはなしが出ることが多いが、今度は群ようこもけっこう好きという話を聞いた。わたしもけっこう読んできたし、今もたまに読むが、Hちゃんも好きという話は、今までしたことがなくて意外だった。わたしは読んでなかった10万円生活の、本の筋を話してくれたり、映画になったあちらもあちらも群作品と今さら知ったり、読みたいなと思って帰ってきた。
Hちゃんがわたしのどっかお薦めをと言うので、張りきって、じゃあどこにしようかと亥ちゃんに聞いたりし、思案を巡らして思い出した、評判を聞いてからわたしも行きたいと思いながら、行けずにいたリーズナブルな海鮮が一番人気の店。二人して海鮮丼(吉志久という店ですが、海なし県ではなかなかの代物。サラダ、茶碗蒸し、味噌汁がついて、1580円はお値打ち)。そのあとゆっくりお喋りするのに席を移してコメダへ。コメダは写真がないのだけと、今回二人とも気が合っちゃって、またそろってアイスクリームコーヒー (アイスカフェオレにソフトクリームがのっている)を。こちらかかなり当たりだった。近くにコメダコーヒーある方にはお薦めです。
うーん、そんな感じ。今日のところはこのあたりで。読んでくれたひとにはほんとうにありがとう。こちらは雨が止んだ。あちこちで豪雨。お隣の岐阜県もそうだし。今後の穏やかさが取り戻されること、速やかや終息をねがいます。新しい日が、この日曜日がまた、みなさまにもわたしにも、それぞれによくありますようにね
by 828summer
| 2018-07-07 22:51
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