2018年 05月 12日
母の日になるねぇ~猫に珍しくなつかれた♪(C日記⑥ 98日め) |
毎年でもない気がするが、少なくとも去年と今年と続けて、伯母には初夏の母の日の頃にある、水神様のお祭りに呼ばれている。去年も日記に書いた覚えがある。認知症の伯父が亡くなり、もうじきで4年になるらしい。お手伝いして運ぶついでに覗いたが、アルミの大鍋に鯉一匹分だろうか、たくさん鯉が旨煮に(甘じょっぱく醤油で黒くなった煮魚だが、甘露煮程にはしまっていないだろう)煮られていた。鯉の場合はお腹もご馳走なので、旨煮も切り身は輪切りに煮るが、崩れないように伯母は、平皿で平行にそおっと掬って、お皿に移す。母も同じにしていた。
お腹、身、皮の部分が、こうして煮ると鯉はみな食べられる。お腹は肝のように柔らかく、脂肪分があり甘くて、一番に美味しいところで、わたしは子どもの時から、食べていてここが一番に好きだ。ただしそこだけ食べるともったいないので、身を食べながらゆっくりと、交互に食べる。骨も煮込んだ時間によっては食べられる。今年は伯母は時間をしっかりかけたらしく、ほぼほぼ骨まで食べられるまでになっていたが、微妙にまだ骨を全部食べたいと感じるのとは違い、少しだけ食べて骨は寄せて残した。鱗を感じるじゃりじゃりした皮は、凄く美味しいとも思う部分でもない。わたし的にも美味しさは、お腹 〉身 〉皮みたいな、好きな順位で捉えているが、食感の違う部分を楽しむ意味もあり、やはり時おり口に運んで、甘露煮くらいに濃く煮汁を感じられる、この部分も最後までにはきれいに食べてしまう。そんなで大きめの鯉の切り身1つを、ゆっくり味わい時間をかけて食べると味も濃いめだし、フルコースのようにお腹にずしりと満足感を覚える。わたしは煮たことがないが、新鮮な鯉でないと、こんなふうに、おいしく煮れないらしい。強火で一時間煮てから、あとはことことの弱火。伯母は今年は強火をもっと長く煮ていたと言っていた。圧力鍋など使わない、とにかく単純な時間と火に任せた仕事。おいしかった。今年も食べられて嬉しかった。煮るからと言われると、ほいほいと喜んで、行きたくなるから不思議で、年月の蓄積、熟成、記憶により、松本近辺の人間には、ソウルフードでもある、行事食だなぁと改めて思う。
この日は一緒に住む従兄弟とも、わりに長く喋ったりしたが、久しぶりに夜もかなり長く伯母と喋っているなと思っていたが、気づいたら11時半を回るかというところで、慌てて長居しちゃってと帰ってきた。お邪魔している間、珍しく伯母の飼っている、うさちゃんと言うねこが、こたつのわたしの膝にずっと来ていた。うさちゃんはとうとう一匹になってしまった。兄弟ねこが去年死に、寂しさで正月に来たときは、すっかりやせこけ生気がなく、うさちゃんまでじきに、死んでしまうかと思われる位だった。それが連休に来たら、すっかり盛りかえして、普通になっていた。孫娘がねこ好きで、連休に来て帰ってしまい、うさちゃんはまたしばらくご飯を食べずに、悲しがり寂しがっていたと伯母が言う。わたしはどうも代用らしいが、それでもずっと膝にきて、くっついていられると、嬉しいような気になる。こんな風に全力で悲しみ、また復活してくるねこの、素直な生命力には感動する気もした。
そう言えば母の日でもあった。行くのにスーパーに寄ったが、信州産の真っ赤に熟した苺と、オレンジのカーネーションの鉢植えをお土産にした。翌日のその日に備え鉢植えには、カーネーションがたくさん出ていた。何となく赤やピンクではなくオレンジにした。いまは買う母がいないけど、あげる伯母がいるのは、有り難たいような気が、いつもながらした。
1日そろそろ終わりに近づくが、昼過ぎから本格的に降りだした雨は、同じように強く降ったままだ。こんなで1日終わってしまうのが残念なような気もするが、体を休めるだけで終わってしまった感じだ。まぁ、いいか。今日のところはこのあたりで。読んでくれたひとにはほんとうにありがとう。新しい日が、夕方から夜だけになったが、この日曜日がまた、みなさまにもわたしにも、それぞれによくありますようにね
by 828summer
| 2018-05-12 18:25
|
Comments(0)