2017年 06月 17日
6月句会~ちょろっと俳句のことなど(C日記④ 145日め) |
6月の句会に行ってきた。行く度に書き写してくるその回の全ての提出句、日付を追いながら数えたら27回目の句会だった。句だけ出した月まで含めると28回目の句会になる。28という数字はわたしには、ある意味のラッキーナンバーであるが、マンネリを覚え、そこに入り込んで久しいような気もしている。今月は変則的に今月の句からはじめてみる。
兼題:梅雨
雷鳴にドライヤーの音パタと止む
入梅や何かのしっぽのぞきたり
時計草や 後戻りして すすむ夏
麦秋に矢車菊(コーンフラワー)の隠れおり
今回ははっと鮮烈な思いが生まれて、そこからできたような句がなかった。いやそういう感覚は、今回にはじまったことではなく、もうだいぶ続いている。強いて言えば今回は、古い記憶の知識で知っていたものを、初めて目の当たりにして、見たその時にはやはり新鮮な驚きと、見つけた喜びを感じたことから作ったのが麦秋の句だった。いわれを知ってから優に30年以上も経って、麦秋のなかに咲く矢車草を見つけた。そのときには思いはたしかにあったはずなのだけれど、それを句のなかにフレッシュな形に全く込められずに、適当に矢車草の単語だけを押し込んで字数を合わせたにすぎない。やっぱり全然響いてくるものがない。今月は句会が早いから、提出句が期限までにできるかなと、そんな心配があり過ごしていて、数ばかりに意識が向きがちで、これで1つできた!の、やっつけ気分が勝ってしまっていたような。何だか全然にそんなのはつまらないと、出す句を短冊にまとめていた時から、句会中もずっと、また帰ってから今も恒例の句会日記を、書こうとブログに向かいながら、感じ続けています。
この感じをどうしようかとあまり考えると、難しい局面に行きそうだから、この中をそれでも詠み続けるのがいいのかもしれない。俳句を考えるよりは、生きる方に風を入れながら。上手くなりたいのかも今もわたしは依然として分からないけれど、自分のなかに印象に残る句はやはり詠みたいと思う。そして今は詠めていない。聴き続けてきた青木亮人さんの、俳句についての、カルチャーラジオ講座、俳句の変革者たちの話も終盤に入り、色々また考えさせられたりしている。青木先生が初めて触れた時に、いい句だなと驚いたという句があった。俳句甲子園の地方大会で審査員をした時に出会ったと。こういうフレーズを高校生が詠めるんだということに感嘆し、俳句の才能はこういうところからこんな風にも出てくるんだと、その時に感じた思いを語りながら紹介していたけど、青木先生のそのときに感じた印象の鮮烈さが、今も変わらず伝わってきた。またわたしも聞いて、すごく素敵ないい句、こういう句はわたしも、すごく好きだなと思った。まぐれのようにでも、たまにはわたしもそんな風に鮮烈に、自分にも人にも、感じさせるような句が、1つでも2つでもこれから先、詠めたらいいなぁということを、その句には強く感じさせられた。それはこんな句でした。テキストに掲載がなかったので、表記はわかりませんが、みやざきれいな(今はりりかさんとして詠まれているとか)さんの作だそうです。
“ホウレン草抱え月夜のバスを待つ”
青木先生も言っていたけれど、月夜のバスを待つ、というところが、わたしも特に素敵だと思います。
6月の句会自体は、前回お休みだったマープルが、今月はスケジュールが1週、いつもより早まっていることに、気がつかないでいて欠席。連絡はしていたけど、多少のフォロー不足もあったらしい。慌てて電話したけれど生憎つかまらなかった。同じく日にちを間違えていて来なかったムーミンさんは、電話で何とかつかまり慌てて駆けつけてきた。そんなで何となく気のぬけたような、雰囲気の句会だったような印象。まぁ、でも、時にはこんなこともあるよね。後で知ってがっかりしてるだろうなと、マープルは少し可愛そうだった。
そんなこんなの句会と、最近のわたしの俳句についてだったりでした。今日のところはこのあたりで。読んでくれたひとにはほんとうにありがとう。すっかり午後になってしまったけれど、新しい日が、この日曜日がまた、みなさまにもわたしにも、それぞれによくありますようにね
by 828summer
| 2017-06-17 17:05
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