2017年 05月 22日
よき香させ(C日記④ 119日め) |
ニセアカシヤ どこ吹く風と よき香させ
ニセアカシヤが咲いたと、少し前にオリーブさんに話をして、ニセアカシヤの名前にぴんと来ないようなので、あの藤の花に似た、天ぷらにして食べるひともいる、と話したら、あぁ、アカシヤ! 、もちろん知ってます、となった。そう言えば、うちの親も子どもの頃は少なくとも、あの花をアカシヤと言っていたような…。いつからかニセアカシヤというようになった。何か大陸のものというイメージがあるが、わたしはほんもののアカシヤの花も、よくは知らないのだが…。原由子さんが唄うサザンのアルバムの曲に、たしかアカシヤの唄があったな。思い出すのはそんなことくらい。でもどんな唄だったかな。オリーブさんは女の子っぽいところがあるかと思えば、どーんとして揺るがないような、ちょっと鈍くも思えるところがあり、わたしより底のところはどっしり強そうで、ユーモラスでもあり面白い。想像通り同じO型と聞いた。抜け方が似ているところもある気がするが、ほんももんのO型の安定感だ。わたしは脆いとこも、神経質なとこも、嫌だが奥には隠れている気がするから、ああいうところはかなわない、いいなぁと思う。わたしがときどき小言を言っているが、そのこたえなさに安心を覚える。
今朝(月曜)の電車の中でのこと。田舎の私鉄は詰めて座る文化の浸透度が東京ほどには高くないので、各人が微妙な広さで隣との距離を、とったところに陣どってしまったり、また極めて無邪気に横に荷物をおいて座るひともいたりすることで、詰めればもう一人、酷いときはもう二人、三人座れる状況に遭遇することが多い。わたしにはもはや、前者は諦めの境地、後者は気がついてもらうと、うれしいななんていう希望がある。この春からおそらく街中の中学まで、越境で通学を始めたらしい、一年生らしい男子。荷物を傍らに幾つか置いて、0.8人分位のスペースを余計に取っていた。こんな慣れない状況で通学を始めたばかり、まだ他のことにいっぱいいっぱい。きっと分からないだろうな、と気にも止めていずに、つり革につかまりその前辺りにいた。隣の女子高生が、最初おもむろに席を詰め、気づくのを促した。それでも気づかない彼に、少し躊躇の後に彼女は優しく、ねぇ、ここ、ちょっと詰めたら、座れるから、みたいに声をかけた。すごいなぁ、こんな子がいるんだな、とありがたく腰かけさせて貰った。
アナザー雷電が出た。夏仕込みはやはりヴァイツエン。相撲つながり。土曜日の御嶽海は稀勢の里戦、けっこう健闘していた。どっちも応援しているので、どっちが勝っても嬉しいような、残念なようなで、気持ちは散り散りで微妙なんだけど。懸賞金も史上最多タイ!? 、何か沢山だから長いこと旗が土俵を回っていて、解説のひとが、万一取り組みがまだ旗が回ってる途中で始まっちゃったりしたら、その時は即座に旗を持ったひとは、土俵から下に飛び降りることになっている、みたいに言っていて、そんな話は初めて聞いた。オーケストラの演奏中に、バイオリンの弦が切れたら、鳴らしてないバイオリンを次々にパスして、音が途切れないように繋いでいく、そういう決めごとがあると、そんなトリビアみたいなコマーシャルがあったけど、色んな咄嗟の対処に、面白い決まりがあるんだなぁと、おもしろく感じる。決まりはあっても、そんな場面の発生はごく稀で、実際に行動を起こすような確率はすごく低いんだろうけど…。でも伝家の宝刀じゃないが、咄嗟の対応がちゃんと決まっていて、それに直面する可能性のある人が、それをちゃんと承知してるってのは、何だか安心な感じがするねぇ。見えないそういうものが、赤外線センサーのように、色んな世界、分野、シチュエーションに張り巡らされていたら良いのに…、と災害や事故や事件による、惨事を未然に防ぐそんなものが定まって、人の頭のポケットに入っていて、咄嗟のアクションが起こせれば、ほんとにいいのにななどと思う。
最後は理屈っぽくなったような。失礼しました。今日のところはこのあたりで。読んでくれたひとにはほんとうにありがとう。新しい日がまた、みなさまにもわたしにも、それぞれによくありますようにね
by 828summer
| 2017-05-22 18:16
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