2017年 03月 30日
からだがホッとするよ(C日記④ 66日め) |
寒さをまだ挟んでの今日の暖かさというか気温は、昼間もだし夜は夜でまた家の中でも、何だかからだがホッとするというか、生物としての働きが緩むような感じを味わう。これが今日は家に帰ってきて、束の間すごく幸せに感じられた。
最近はぜんぜん本が読めなくて、読みかけた本ばかりが増えていく。今年に入ってだとは思うが、いったいいつ読みはじめたかも定かではない、ヨンゲイ・ミンゲール・リンポチェ 著の「今、ここを生きる――新世代のチベット僧が説く マインドフルネスへの道」(パンローリング株式会社発行)。最後わずかを残してまだ読み終わらずにいて、最近は早く読み終えてしまいたいと思い、いつもいつも鞄に入れては出るものの、読まずに帰るということを繰り返している。読む気がないわけではないが、だいたい先にブログの方が気になり開いてしまい、幾つも誰かの更新がほぼ必ずあるので、そちらを読むと本は開けずに家に着いてしまう。それでも今週は1回だけ電車の中で開いた時に、その若き気鋭の(と云うのが相応しい、表現なのか分からないが)チベットの高僧が言っていて、印象に残ったことがあった。彼は乞われて世界中を回っているが、アメリカ社会で耳にして気に入った言葉の1つに、内部犯行(inside job )があるらしい(自分の育った文化背景にはない、そういう新しい言葉に触れる機会が増えるのも、そうした暮らしの魅力らしい)。灯台もと暗し的な、内部事情に通じた人が、立場を利用して起こす悪事の意味で、日本にいるわたしにも、ありふれた普通の事柄に感じられるが、チベット僧には新しい概念で面白いと思ったようだ。
つまりこころという、極めて複雑で複合的なものの内部にも、似たような働きはあり、それに着目して心の葛藤を捉えることができれば、こころの本質的な静けさ、マインドフルネスへのヒントにもなるみたいに言っていたのが興味深かった。たしかにわたしたちは自分のものでありながら、その自分のこころの当然に熟知して然るべき部分を、疎かにしたり避けたりしてよく見ないでいるために、その内部の陰の存在に、反乱を企てられるということはある気がする。一部の反乱分子がいじけて、全体を脅かす内部犯行を企てるが、内部犯行が対象内部をよく知るものの犯行であるために、なかなか複雑で巧妙で、悪事が起こっている事実も、ことの正体も分かりにくくし始末が悪い。自分本体を苦しめたり、不快にしたり、囚われにして、なかなかそこからは脱け出させてくれない。幸せや不幸を感じるのが心ひとつなら、自分で何とでもできそうなものなのに、自在にコントロールなどできそうになく感じている。今日の暖かさを幸せに感じる心が、落差があるから生じてきているだけで、束の間しか至福は持続しない。持続してもいいのに。それも同じ理由なのかと思う。こころをもっとよく知るようになれば、自分を一喜一憂させたり、最悪はどん底に突き落とすような、こころの内部犯罪は、もうあまり起きないのかもしれないし、あるいは自分自身で軽く、片つけられるように変わるのだろうか。読んでそんなような想像をしたわたしだった。
ちょっとさみしい気にもなったが、今夜でソローを読むのカルチャーラジオも全13回が終わった。一回だけ聞き逃した。最後の二回はソローの影響を受けた、女性環境作家たちだった。初期のその一番の代表は、沈黙の春やセンスオブワンダーのレイチェル・カーソンだとか。残念ながらまだ読んでいない、時間があれば読みたい本も、年を取るほどに増殖し困る。つべこべ言ってる暇があれば、読むほうがましかもしれない。次回からカルチャーラジオは、俳句の話になるらしい。正岡子規から俳句甲子園!?に至るまでの、俳句の変遷だったか、うろ覚えで曖昧で申し訳ない。わたしは引き続き聴くのもいいかもなぁと思った。とにかく読みかけを読み終える辺りから、4月からはもっと本を読みたいなぁと思う。また1つ覚えの決まり文句が出ちゃう。タイムアップ。今日のところはこのあたりで。読んでくれたひとにはほんとうにありがとう。さぁ週末が来るし、3月も最終日だ。新しい日が、またみなさまにもわたしにも、それぞれに、よくありますように
by 828summer
| 2017-03-30 18:35
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