2017年 02月 24日
こんなにフツウの毎日の中で(C日記④ 32日め) |
色っぽいことに無縁ですね。もともとそうだけど年々歳々また殊に。年はわたしの方が上だけど、そんなに凄くはかけ離れてはいなさそうな、素敵な女性お二人にコメントいただきましたが、わたしと違って女らしくて、そこはかと、あるいはくっきりと、年ごろのいい色っぽさが漂ってて、そういうのしっかり伝わりました。残酷さが今一つわからないと、お返事に書いたら、本家の方でひもといてくれて、ああっ、そっち!! 、と改めて漸く気づくという感じ。あぁ、フツウはそっちに関心いくよね、それが道理、なんて鈍いのかなと、自分の発想の艶のなさに呆れ、ちょっと恥ずかしかった。ヤドリギの下のkiss もそう。なんてロマンチック、みつはしちかこや、ペイネの恋人たちみたいだわ、とやはり自分の貧困な発想にガックリ、また赤面しておりました。併せてお二人には、こんな気持ちに、気づかせてくれ感謝でいっぱい。やっぱり、それ大事。ぜったいに、今さらでも。
だってね、わたしなど先日、酒場放浪記のあの吉田類さんが、番組のような酒場が舞台になる映画に出られるとかで(ドラマの下町ロケットで、既に俳優経験があるらしいですね)、新聞にその紹介があり読んでたんですけどね。それによると類さんがBS で月曜の夜にやってる、あの番組のことを、裏では(それを恋愛に縁のない、飲み屋で飲むだけが楽しみの、輩の間ではみたいに書かれてましたが)『俺たちの月9』と呼んでいるらしいです。そう知り、この『酒呑みの(とわたしは言い換えますが)月9』というのが、妙にツボにはまりまして、共感と云うか同病相憐れむの哀愁もあり、わたしもそっちだわ、うまいっ!! 、と感じ入っていたくらいです。
もちろん、こっちの世界は好きだし、だいじに思うけど、だけど今はそっちも凄くだいじだわ、とも思うわけです。いちおうわたしにもあったとする前提ですが、女らしいことや色っぽいことの、retrieval 計画を今年は考えたいかも、と。きっと、必要だわ! 、と。わたしのスケジュール帳には、毎週1つ金言みたいな、短いメッセージが添えられてるんですが、最近それにも似たようなものが。毎週読んでても、響いてくるものもあれば、そんなに残らないものもあるけど、2月に入り続けて2週のものは、そっちサイドに光を当てていて、その示唆することは、何となく忘れられずにいました。人が色っぽいのを見ていいなと思ったり、多少は自分が好きな人から、いいなって見られたい意識なんて、すっかり忘れてたけど、意外とスルーせずに響いてきていたのです。ちなみにそのメッセージはこんな感じ。
~“服部みれい 2017 わたしの手帖”より、以下引用~
好きな人が現れるってこと自体、もう、なんというか、成就なんだとわたしは思っています(後略)
世間の「女らしさ」に合わせる必要はないですが、時には色っぽいことも大切にしたいですね。もちろん、年齢は関係ありません。(中略)甘いことにコミットしてみます。
~ここまでで前述よりの引用おわり~
これが響いてこられた方は、一緒にリトリーブするのもいいですね。な~んてね。わたしくらいしか忘れてないか(笑)。タイトルは先日のキョンキョンの優しい雨からです。この曲、曲調も好きだし、なかなか本人自作の歌詞がいい。聴いたらドラマもぼんやり思い出してきたり。曲の中での意味は、決まった人がいたのに、出会ってしまった。こんなに普通の毎日の中でも、もう出会ってしまったんだから、運命などと口にするんだったら、傷つけるひとがいるのも障害にもひるまず、たとえ誰かには悪い人になっても、ここからわたしを連れ去ってよ、そうするならついていくわ、みたいな感じの中でのことです。こんなのには性格的にも、年齢的にも、わたしは入り込めはしないけど、気持ちはわかる。わたしはちょっと曲とは違うけど、「こんなに普通の毎日の中で」というところが、じんわり今の気持ちに響いてくる。障害を乗り越えるような、大げさな激しいものではなく、道ばたのタンポポみたいな、こんなにフツウの毎日のなかで、ちょっとときめく、かなり地味だけど、そこに埋没しない何かを、誰かをわたしは、どこかで今も求めていたのかも、みたいな。そんな風に思ったりしました。
あぁ、恥ずかしい。柄にもないことを書いた。もぉ、終わり、終わりにしよう。今日のところはこのあたりで。読んでくれたひとにはほんとうにありがとう。新しい日が、この土曜日がまた、みなさまにもわたしにも、それぞれに、よくありますように
by 828summer
| 2017-02-24 18:02
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