2016年 12月 01日
おもいだした(C日記③ 126日め) |
翌朝日記で書いている。6時40分過ぎでもまだ日は上がってこないが、いつもより明るい気がする。前に日がでる方角ではないのに、西山が今日は紅富士を思い出すような色をしていると、ボージョレの解禁日の頃だったかに書いた。今朝もふと見上げる先の西の方の山は、山肌の様子がわずかにわかる程度、ほとんどシルエットのようになって佇んでいる。またその山の端をふちどる空は、ラベンダーのような、薄いマゼンタのような色に染まっていてきれいだ。その視点を日がでる山の方に移してくると、山の端はやはり赤く彩られているが、その色が明らかに異なっていることに気づく。こちらはマゼンタではなくオレンジの色をしている。どちらも美しいが、殊にそのラベンダーの山の端の色は格別に感じられる。とても貴重なものを見ているようで、生きていて今わたしが囲まれているすべて、またこれまで生きて辿ってきたすべてが、何だかいとしいと云う気持ちが湧く。普段の自分よりだいぶ高みから、一時的に眺めている状態になっていた。駅で会い時々言葉を交わすようになった、水野真紀似の40代前半くらいのお姉さんにも、思わず山の端の色の話をしてしまう。たしかにラベンダー色ですね。すごくきれいと、一緒に見いりながら、そう言われて、この美しい瞬間を、一緒に見て味わっているのが、何だか夢のシーンのことのようにも思えた。
新聞の書籍広告に惹かれて水曜日から、きたやまおさむ著「コブのない駱駝」(岩波書店刊)を読んでいる。わたしはこの方を知るにはまだ、世代的には若くてよく知らずにいたが、フォーククルセダーズのメンバーで、後に精神科医として診療にあたりながら、大学で教える研究者になられている。その一方で本名を平仮名にした、この名前で表現活動もされてきた。精神分析の手法を採用する精神科医の自叙伝。わたしも読みながら、思い出したりすることが生まれる。
もうこの頃、異常気象は日常的なことになって、異常やイレギュラーの形容詞が、もう意味をあまりもたないが、そう言えば生ぬるい南風が昼間吹いていた。電車の中を蛾か蝶々か、虫が飛んでいるのも見かけた。
まとまらないまま、断片的に書きちらしたような…。大変しつれいしました。今日のところはこのあたりで。読んでくれたひとにはほんとうにありがとう。週末だ。わたしはややお疲れモードの感もあり、だいぶ待っていた週末。新しい日が、続く週末がまた、みなさまにもわたしにも、それぞれによくありますように
by 828summer
| 2016-12-01 18:05
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