2016年 08月 26日
どちらもカウントダウンな夜(C日記③ 29日め) |
今日は調子も夕方に向かって上向いてきた。たぶんわたしの調子は、会社に行くようになるとじわじわ下降し悪くなりだすような。逆に休みが近づくと回復を始める、そんな傾向があるらしいと分かってきた。もしかしたらストレスとかメンタルな部分から、きているものもあるかもしれないな、などと初めて気づきつつ迎える今週の週末だった。
金曜と言えばふら~っと、わたしはお外ごはんに出たくなることが多い。まだ今は先週末同様にお家ごはんで、ノンビリとの親和性の方がだいぶ高いのだが。今日はそれをおしていきたい店があった。今日じゃないと日程的にもう難しくなる。朝から仕事をしながらも、気持ちのどこかでいつも、体にはどう? 行けそう? 行ってきてもいい? 、と様子を伺うようにしていた。退社の時間が近づくほどに、胃腸が行ってきてもいいよ!、と言ってくれてるような気がした。思いきって行くことにし、会社を出るとそちらの方向に歩き始めた。
今日行かなければ、もう行けなくなる。行かないと後で後悔する。とても行きたくていたのに、一度も行けないまま閉店していたことを知る店。少ない回数しか行ってなくても、すごくあらゆるところに好きな点が多く、もう行けないと閉店してから知る店。どちらも残念な気持ちが残る。だが後者の方がまだよい。前者の代表は、一時期は松本に住んでいた、いしいしんじさんもお気に入りだったらしい「チャイナスパイス」。かつてあったお気に入りのテレビ番組、ワーズワースの冒険で知り、名前が忘れられずにいた金沢の「恵是瑠(ケイゼル)」etc. 後者は火鍋のその複雑な、薬膳スパイスと具材の滋味が忘れられない「いまい」。たまにサービスで肩越し背面の高いところから、湯を注ぐスタイルの心おどるパフォーマンスで、花びらやら入りの中国のお茶を飲ませてもくれた、中国薬膳の店「青藍(シエラン)」。今日はこれから、わたしのそうしたリストに加わることになる店へ行くことにした。
今週のタブロイド版のタウン紙で、今月末の29日での閉店を知ったのは、フレンチ系のレストラン、洋食屋さんの「橋倉」。料理に使われる店主自らが、安曇野で栽培している力のある味わいの野菜。フレンチのシェフには多いだろうが、ワインにかなり造詣の深そうな店主が選んで提供しているワイン。ここでそれを飲んで、仲間や店主や奥さんとの語らいの時間を、楽しみにしている常連さんも多いことが、わたしがいた一時間半ばかりの間に垣間見えた。
江戸時代の参道のような、浅草の仲見世のような、四柱神社に面した縄手通りの路地を入ったところに店はある。タブロイド版によると、30代前半で親の故郷に店を開くと決めたときに、街の真ん中を外れた、やや奥まったところでやりたかったと書かれていた。カウンターに座って常連さんに混じり今日は、遠慮しつつも気詰まりにならない位に、少しは話しかけながら食べていた。そうするとわかってくるのは、一家言ばかりか何家言もある店主のお人柄。20年のむかしに、若かりし意欲に燃えるこだわりの人の、その船出への思いが、うかがい知れる気もした。
こんなこといつまでまでも書いていても、きりがないので、この辺りからは飛ばして、撮ってきた写真をさくさくといきます。
フレンチらしく、各席には予め飾り皿と、右脇にフォークとはしがセットされていた。飾り皿は一つ一つ柄が異なり、わたしの席にはこんな柄が。
今日はちょっと食べて、ワインを何杯か飲みたいとお願いし、2000円弱だったプティプティのディナーセットと、グラスワインをいただいていった。
奥さんがハウスワインには何を開ければいい? と、シェフに聞きながら開けていたワイン。後から聞いたら、最初の白はシャルドネ。甘みも少し感じられ、知っているような爽やかな味で、こちらも美味しかった。
一皿目。ペースト状のはイベリコ豚のレバーペースト。くさみがほとんど感じられず、やさしい塩加減のよいお味。魚にも肉にもよく合う、とシェフの言っていたピンクペッパーがとても美味しく感じられた。味も形状も知ったものだが、名前が出てこないハム。いちいち聞きにくくて聞かず。
もう一杯、違う白をとお願いして、こちらの方は後から名前を聞いたが、あまり聞いたことのないブドウの品種で忘れてしまった。シャルドネより、くせがあり、酸味はつよく、甘みはすくなく、アルコールの感じはよわく感じられ、何となくひなびた味わい。わたしはあまり馴染みのない味だが、個性的でこっちがどちらかと言うと好み。醸造家により、シャルドネよりこちらがランクが下のものもある(多いだったかな!? )が逆もある。今日飲んでるのは、こちらの方が格上だと。シェフはこの品種は好きだとか。
熱く感じるくらいの温度が、美味しく感じた旬のトウモロコシのスープ。
こちらがメイン。また食べかけて思い出して慌てて撮る。これはほんとうに美味しかった。シンプルなソテーやフライなどだが、鶏肉はささみの燻製かと思うようは味わいと噛みごたえがあり、野菜はズッキーニは硬めのくにゃっとした歯触り、このくらいの火の加え方が美味しいと習った。また身の詰まった肉質の美味しいズッキーニだろう。トウモロコシはもちきび。肉の下は素揚げにしたジャガイモ。バルサミコの味で、最初はサツマイモを食べているかと勘違いした。手作り野菜らしい。別名デストロイヤーと言うとか。この芋には派生の品種が色々あるが、原種のこれが一番うまく感じるとも言っていた。
料理は終わってしまったが、赤も飲んで帰りたくてお願いした。最近は白の方が好きかも。味の大して分からぬわたしには特徴を伝えられず。もっと勉強したくなった。
生ハムかチーズくらいしか用意できそうにないがと、閉店に向け食材が尽きてきている中から、薦めてもらったチーズ。添えられたフルーツの入ったパン。この組み合わせがわたしは気に入った。写真には撮らないが、最後に紅茶をいただいた。普段砂糖もミルクも入れないわたし。ウエッジウッドの2002年らしき、イヤープレートをお盆にサーブされてきた砂糖と生クリームらしきミルク。茶色がかった粉状の砂糖が珍しく、ストレート、砂糖、ミルクと順に入れ味わった。美味しかった。
隣り合った常連の、一人は長野から来ている五十代前半らしい女性客、後から来た大学職員か何からしき30代位の雰囲気の似た男性二人組の話。最初の招かれざる客感ある状態で、席に着いちゃった身の置き場きにやや困る感じ。入って失敗した感があり悟ったが、閉店なんて記事にしてもらってもね、というのがあったようだ。奥さんの病気とか、色々あっての予期せぬ一時撤退らしいから。前に来たときは店に振られて、ずっといつか来たくていた話などしながら、ぽつぽつは受け入れてもらえていったような…。奥さんは俳句のお仲間に似た人だなとおもう。旦那さんはやんちゃ。店の中は漆喰かべ、ところどころ吊り下げられたランプの照明、年月を感じるエイジングの味わいが感じられ、雰囲気のあるいい店だなとおもう。数少ない貸しきりに、運悪く行った最初の来店だったことも知る。親の残した陶器で目が肥えていらるらしく、備前焼のことで話していたこと。本はあまり読まないが開口健はよく読んだという話。真似したくなる野性的な畑作り、奥さんの病気。お客さん慣れした中学生の息子。色々書き残して置きたい気もするが、きりがないから余韻の中に残しておく。
明日からのわたしへのお土産に、手作りのいちごジャムを買って店を出る。良い具合に暮れてきた。
今日の食べ歩きは誰かの参考には、わたしがアップするだろう時間から考えて、おそらく持ち時間は正味にして3日ほど。しかも今日の調子だと、わたしのような一見さんは躊躇いから、行ってもそんなに歓待される感じでなく、食材が乏しくなりつつある中、こだわりの強そうな店主がやりくりで、納得の料理の展開を考えているらしいから、対応が難しいと最初は扱われて怯むかも。それでも時間はかかってもいいから食べたいとか、出されるものも、ある中から今作れるものでいいから食べたいとかの酔狂なら、美味しかったのでやはり松本店案内でもあります。
今日はまとまらぬまま、無駄に長くなった。胃腸は全然平気なのが不思議。またお店が再開されること、奥さまのお体が好転されていくのを、心から願いつつ、今日のところはこのあたりで。読んでくれたひとにはほんとうにありがとう。新しい日が、8月最後の週末が、みなさまにもわたしにも、それぞれに印象的なものになりますように
向日葵や大台にのる日曜日
by 828summer
| 2016-08-26 19:43
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