2016年 08月 15日
今年のお盆も終幕間近!(C日記③ 20日め) |
盆の日や ミーンとリーンの せめぎ合い
この夏はセミは、会社の近くでは鳴き出してもうだいぶ経つが、家の周りではあまり声を聞いた覚えがなかった。山の日以来は休みでずっと家にいると、その2日めからは昼間はセミの声を急に意識するようになった。それが夜になると、秋の虫の声も混ざる。電車を降りて家まで歩くとき、美ヶ原からその周囲の山々に連なる東の方の山際に、発達した入道雲などのかかる景色が面白くていて、夏らしくなってからは、それを長く眺めていたくてよく遠回りした。それが休みに入る辺りにふと気づくと、入道雲の輪郭が水彩画のように、水を含ませてぼかした、やさしいいわさきちひろの絵みたいに、くっきりした強さから淡くにじんだ表情に変わっている。お天気のせいかな!? と、また元の力強いアラジンがランプから出てくるような、肉感的な力強さが戻ってくるかな、と思っていたが相変わらずのままだ。ちょっとさみしいような。12月まで3ヶ月半だと数えると、春から今日までよりも短い。
読む人は飽き飽きだったら申し訳ないが、今日もまた家の周りばかりをうろついただけの、ドメスチックなお休みの1日の話でご勘弁を。昼頃に伯母に電話して、特に都合は悪くないと言うので、伯父に線香をあげながら久しぶりに、夕飯をご馳走になりに行くことになる。わたしはせっかくのご先祖の帰るお盆だと言うのに、一人で大して量を食べる訳でないので、迎え盆の初日のほかは、仏さまにあげる料理も特に作らずで、そんな日が二日めともなると申し訳ない気もしていた。そこに伯母が自分はこちらまで線香をあげに行けないから、いつもの黒ゴマのおはぎを作るから、それを持って帰って仏さまにあげてもらいたいと、電話で言うのにそれはいいなと、すっかり当てにしてしまった。
それでも午後になり、昼ごはんに冷や麦を食べたが、仏さまのことはころっと忘れ、自分ばかり食べたことを、しまったことをしたと思い出して、また冷や麦を茹でて供えたりしていた。また今日はお盆の棚飾りに、ナスで作った馬(ヘタ側を頭に見立て、楊枝や折った割り箸などを刺して四本足を作り、頭が下がるような形の馬にする。仏さまが乗って帰るらしい。キュウリで作る家もあるらしい!? )をあげる日で、同じうどんを使って、ナス馬の背には鞍に見立てたうどんも、数本かけて垂らしたりしていた。これが済むと、明日の朝は仏さまが帰る前に、帰る先に持っていってもらうお土産を先に川に流して送る、精霊流しのようなことを形だけだがする。何か知らないがたしか、善光寺に着くことになっているらしい。でも夜にはお墓に送っていくわけだし、うちの仏さまは一体お盆以外の普段はどこにいるのか、よくわからない矛盾する話を子どもの頃から、大人は何とも思わず当たり前に言って聞かせていた。
84歳の伯母はだいぶ体がしんどいらしい。そのことを言うことも多くなった。6時頃に行った時には黒ゴマをすっていたが、傍らでは餅米とうるち米とを半々にしたご飯を炊飯器で炊いていた(水加減は変わらずでいいらしい)。それもじきに炊き上がったが、他にナスのお浸しと汁物を話ながら作ってくれるのに、二時間かかった。少し前の伯母なら一時間もかからないだろう。わたしはすって砂糖や隠し味の塩や醤油を混ぜたゴマを、半殺しにしてあの形に握ったお萩にまぶしてつけるのを手伝っただけだが、伯母がゆっくりのお陰でわたしでも作り方がしっかり分かったのがよかったが…。
夜には従兄弟を交えてご飯を食べる。長らく出身大学のある県で高校教師をしていたが、この春から幸い教師の先が地元に決まり帰ってきた。わたしよりは4、5歳上の独り者。こちらは男だが、ここにも独り者がいることで、父方の従兄弟同士のなかでわたしの形見の狭さが、若干緩和されてる有りがたい存在。食事の時の話題の1つに頃合いをみて聞いてみたが、仕事は順調に馴染みつつあるようでよかった。伯母は疲れて食べるより寝たほうがいいと、そんなときもあると聞く。年取るとわたしでももう実感しているが、食べないとすぐに体力がなくなってしまう。一食分などに小分けし、すぐに食べられるような作りおきでも用意して、タンパク質なんかもきちんきちんと、欠かさず摂った方がいいよ、と言ったりする。高齢の独り暮しの、適切な栄養の摂取の問題は生命線だ。栄養士の妹がいれば、具体的で実践的な話になっただろうが…。まぁ、親のもうないわたしなど、分からなくて教わりたいことを教わることが多い、子どもたちもわたしや妹だって、伯母ちゃんにはまだまだ、元気でいてもらわなければ困るよ!、と言ったりする。講演会で聞いた澤地さんも、俳句のお仲間のミセスマープルも、だいたいは同年齢。長かった介護の疲れからまだ抜けきれないし、自分だけの人生をそれなりに謳歌しようとは、まだまだ切り換えられないみたいだ。従兄弟が帰り、週末だけだが一緒に生活するようになった。元気だして、またもうひと花となって欲しいなと思った。自分の頭のハエもしっかり追えないわたしじゃ弱いなと思いつつ…も。
身内ばなしばかりになった。今日のところはこのあたりで。読んでくれた人にはほんとうにありがとう。少し涼しくなって凌ぎやすい日だったが、送り盆はどうなるだろう。涼しいままも寂しいような。新しい日がまた、みなさまにもわたしにも、それぞれによい日になりますように
by 828summer
| 2016-08-15 16:19
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