2016年 07月 09日
つらつら日和でもないが…(C日記② 83日め) |
今日は苦し紛れのつらつら日記。最近はよく眠れるようになってきて、時間のあるときは8時間くらい寝て目が覚める。そうなると忘れていた気持ちのよさも覚えるようになり、もっと寝ていたいなぁと思いながら起きている。最近は寝る時間や起きる時間がまちまちで、10時前に寝て朝の3時や4時に起きたり、12時近くまで起きてて翌朝5時半に起きたりと、日毎に睡眠を勝手に操作するような、睡眠にはばちあたりなことをしていた。だから遅く寝ても、早く目が覚めてしまったりで、睡眠の質が悪くなるのは自業自得だった。
でも30才になったばかりの頃に、眠りが浅く朝も早く目が覚めるようになり、体は痩せてしまい、顔も目の下の肉が落ち、頬もたるんだ感じがして、何だか急に何年も老けたように思える時期があった。わたしはそんなに太るという体質でもないようで、当時は若いときの運動の貯金みたいなそれなりの筋肉もついていて、高校卒業後くらいから体重はそんなに変わっていなかった。残念ながらグラマラスとは違うが、中肉中背で水にも沈みそうな、それなり比重の高そうなボリュームがあった。それがよく眠れなくなり、気がつくとトイレに行った時には、嫌でも目につくが、腰回りの肉が落ちて薄い皮膚が張りついているだけ、ふくらはぎもすっかりほっそりしてしまった。元々は多少の無理はしても、すぐリカバリーするから大丈夫と体力には信頼があった。それがもうすっかり健康に自信をなくしていた。時々一緒に出かけるSとその頃、その日はたまたま二人だけで、向日葵を見に新潟県の津南というところにSの運転で出かけたことがあった。どっかの何とかという名水に立ち寄り、わたしが前に立って歩くようなシチュエーションになった時に、Sがわたしに、「ずいぶん痩せたけど大丈夫?」と、心配そうに言ったのを妙に覚えている。
あの頃は原因も分からないし、平気そうにしていたけど、他人にも気づかれるほどになり、内心はどうしたもんだろう、わたしどうかなっちゃったんだろうか、何か元に戻るのによい方法がないもんかと、無意識に常に考え探していた気がする。
その時は結局、当時加藤タキさんが広告塔になり宣伝を始めたばかりだったが、北欧の会社が製造する海洋性のプロティンを、日本の会社が販売する宣伝広告がどこかに掲載されているのに、何だがインスピレーションのように惹き付けられた。サプリは正体が分からないので、何だか怖くて保守的なわたしは臆病になるが、加藤タキさんが使ってるなら安心な気がすると、藁にもすがるように飲み始めた。単純なわたしは、たった一人訳もわからない何かと戦っている気分だったのもあり、何か頼れるかもしれないものが現れ、すっかり安心したのか二粒飲んで寝た、その夜からぐっすり眠れ、朝方起きるときに深い眠りから徐々に覚めるまでの、自分の気持ちいい深い寝息をボンヤリ意識しながら、不意にやって来た大きな安堵と、後から湧いてくる喜び、嬉しさと共に起きたのをよく憶えている。後のわたしは毎日そのような眠りを取り戻して、からだもどんどん元に近いところまで戻っていった。人により何が効くかはそれぞれだろうが、わたしにはそれだった。地震の後に派遣の仕事を辞めてから、一度高くてやめた時があったが、からだの不調を覚えた去年辺りから、またそちらに戻っている。ただし今は高く感じられるので、薦められないのは承知で、量を減らして飲んでいる。海外での販売名はタイムパーフェクション。日本ではイミディーンとして売られている。
幾つかの話題をとりとめなく、ポツリポツリと書くつもりが、この話を書き出したらこの話だけになった。いくつかある、人から見たら地味だろうが、自分の中では劇的だった体験の蔵出しになった。
平日の疲れが出ててお疲れモードだったので、Fさんからの恒例の講演会のお誘いはパスして家にいた。ちょっとざんねんだったが、読んでなかった雑誌や本も読む。昼に茹ですぎた残りのソーメンで、夜にはソーメンチャンプルーにした。なかなか美味しかった。またやろうと思った。具は乏しくて、たっぷりのピーマンに、昼に残った薄焼き卵、冷蔵庫に少しだけ残っていた馬肉の佃煮。味付けは胡椒とニョクマムだけ。
今日のところはこのあたりで。読んでくれた人にはほんとうにありがとう。今日はほぼ1日降っていたので、日曜は少しは晴れるといいが…。日曜が、新しい日が、みなさまにもわたしにも、それぞれによい日になりますように
by 828summer
| 2016-07-09 18:42
|
Comments(0)