2016年 06月 29日
すきになる度(C日記② 73日め) |
会社の人たちはまたネットのニュースに刺激されてか、今日の帰り間際の話題として興じていた。芸能人の覚醒剤事件がどうしたって、別にどうってことないじゃんと思うのは、少数派なのか多数派なのか? わたしは内心その話題をさめて聞いていた。朝行った時は、この田舎の松本でもかと驚いている、二時間サスペンスドラマのような物騒な事件について、論考を繰り広げていた。こっちは近くのことで多少は行方が気になるのだが。
一般にものに興味をもつエネルギーが高い人が、きっと世の中には多いんだろうなぁ。そしてメディアは何らかの形で売れて儲かるから、そこに一生懸命油を注いでるのかもなぁ、と思う。わたしはそんなエネルギーがあまり多くない。まぁ、こっちのエネルギーは別に欲しくもないから、なくていいけど。でも、人が色んなものを好きになって、熱中して、夜毎愛玩して楽しんだり、という話を聞くと、あぁいいなぁ、envy って感じではないが、羨ましいぞ!! 、わたしもそんな風にわずかでもなれたらなぁ、と思ったりする。
わたしは二十代半ば迄の、大江千里以降にアイドルがいないと、ここでも前に書いた覚えがある。確かにその通りで今も変わらず。三度のご飯よりって言うけど、三度のご飯が何より楽しみかも。それがうれちく、かなちい、今のわたしの真実。う~ん。何なのかね?その正体は。温度か?感度か?エネルギーの量か?好奇心か?愛か?
たぶんエネルギーもあるんだろうなぁ。わたしは社会生活で、ほとんど使い果たしてる感じもなきにしもあらず。またエネルギーをどう捉えるかの無意識の違いのようにも。車のバッテリーのように走ってる内に充電される働きが、きっとフルに働きながら何かに常に熱中してる人にはありそう。わたしは携帯のように充電器に差し込んで、じっと一定時間待たないと溜まってこないように、そんな感じがある。それだけじゃなくて、すきになるはもっと根源的な、内発的に動く力の大きい、強い衝動や欲求の働く、才や能力や天賦の力にも思えたりする。またそれだけでもなく、知的なものでもありそう。芽生えた興味の種を、じっくり作物のように育てるというか、日々調べたり学んだりして、積み上げ構築していく、人の精神に蓄えられている知的な創造物が、その正体にも思える。
いずれにしても、それがないと言うか、少ない薄い人間には眩しい羨望の、すきになる~すきでい続ける~日々すきを増していく、“すきになる度”の高さを持てるタイプの人たち。
夕方帰ってくると、週末になると、いつもきまったような解放感と共に、疲れちった~!! 、とすぐに充電器に載って休もうとするわたしだが、今日は珍しく立ち止まり考えたようだ。今までを否定しても仕方ないが、やっぱりこんなだけの人生ではつまらぬな~!、と思った。もっと自分を本質的に大事にするには、このまま進むことじゃないだろう。自分の中のすきに目を向けたり気づける“すきになる度”を上げ、またそれを時間をかけ根気よく育んでいく“すきを養うエネルギー”を湧かせる。あとは何だろう?う~ん。わからない。まぁ、いいや。合い言葉。かけ声だ。何だろう。えいえいおー?開けゴマ? 発想は貧困だが、月も変わっていくし、“開け、えいえいおー♪”でいいや。
下らないことばかり書いた。でもわたしはわりに真面目である。新しい日からは、ちょっとそんな気で。今日のところはこのあたりで。読んでくれた人にはほんとうにありがとう。新しい日が、みなさまにもわたしにも、それぞれによくありますようにね
by 828summer
| 2016-06-29 19:12
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