2016年 06月 05日
また何ということもなく…(C日記② 49日め) |
今夜はほんとうにただ書くって日記。ノートに日記を毎日書いていた時には、よくこういう日もあったなぁと思い出す。中味ないかもしれないから予め。つらつらじゃなく、つら…くらいになるかも。今夜は適当なところで終わります。
今や家の裏や脇の田んぼは、夜ともなると蛙の大合唱になっている。一生懸命鳴いてて、ご苦労さんって感じ。少し前に蛙が鳴き出した頃には忘れていたが、梅雨に入ったと聞き、鳴いている蛙の存在に、ああ、取り合わせは雨に蛙だったんだよなって今頃気づいてるわたし。梅雨に入りぴったりなBGMだったんだ。
鬱屈精神科医、占いに…の本が、風呂敷を広げすぎていた読書中の本に割り込んできて、読み終えたのでつまみ食いしている何冊もの本に戻る。結局、週末にだいぶ読み進んだのが、「本棚からの贈りもの――小さな愛の図書館」熊井明子著(じゃこめてい出版刊)。これは古本。この方自身は松本出身で、旦那さんはもう亡くなったが、たしか安曇野の出身で旧制松本高校の最晩年の卒業生でもあった、映画監督の熊井啓さん。わたしは熊井夫人ということに加え、ポプリの研究家として印象が強かったが、エッセイストでもあり、相当文学にも造詣が深かったみたい。この本はその優れた読書家としての顔で、外国文学、日本文学、古典の書物やらを縦横に語る読書案内。
まぁ、でも、著者は1940年生まれで、1985年刊行の本なので語られる本も、今ではだいぶ古めかしいものも多い。また最初は取っ付きにくかった。今月松本の岩波文学講座で対談されるが、落合恵子さんや澤地久枝さんとかが、わたしにとりそうなみたいに、寧ろ好きは好きなんだけど、人間が立派すぎで、言うことが硬くて正しくて、ちょっと煙たいというか、そんな感じがあり耳に痛いというか。だんだん読み進むうちに変わっていったけど。結婚後家庭に入り、仕事もそれまでの友人関係も一度に失い、一個の自分として生きることも失いかけたように感じた時もあったらしい(長い間の読書の積み重ねから、自分を登場人物に重ねて、こう生きたと思い描いていたのと違ったと)。それでも再び自分としての顔を取り戻して生きることを、血肉になるようにして読んできたある書物に導かれて、また求めていくようになったんだとか。その結果、今のポプリ研究家や著述家の道に、徐々に進みだしていったことが、書物案内に交えて語られていた。この年代の人の、筋の通った考えと有言実行は、やはり多少煙たくもあるけど、魅力的でもあり、それからは読み進めています。
今の朝ドラのとと姉ちゃんも、前作に続き視聴率がいいらしい。わたしも相変わらず、まとめ放送で見ているが面白い。けっこうコミカル色がつよい。今は特に女学校の先生で、当時の進歩的な女性の代表のような役の片桐はいりが出てくる場面が、また例によってかなりぶっ飛んでるところもある演技をしていて、一番の突っ込みどころになってる感じ。
もう1つだけ。今日ののど自慢は、わたしはあまり今までは見たことない展開で、思わずまた泣いちゃった。シングルマザーの、普段ゆっくり構ってあげられない子どものためにって、その想いで出場した、ちょっと黒木華似の若い女性。聖子ちゃんのちょっと難しい曲を歌うはずだったんだけど、歌詞がしょっぱなから出てこなくてかわいそうだった。最初は演奏の人が待ってたり、初めから演奏し直したりして、何とか歌えるように自然に持ってこうとしたんだけど、上手くいかなくて。その後、仕切り直して最初からやろうと、小田切アナにも「みんな応援してるよ」と励まされて、ちょっとだけ歌いだしたけど、結局詰まってすぐ続かなくなった。何とか歌わせてあげたいという周囲の優しさが、真面目な性格なんだろう、迷惑かけちゃってほんとうに悪いなって、彼女には大きいプレッシャーになってる感じだった。頭が真っ白になり、困っててほんとうに辛そうだった。そういう優しさは心暖まる展開になる時もあるが、ちょっと今日ばかりは胸が痛くなった。出てこなくてなっちゃう時つらいだろうなって。頭が真っ白になるんだろなって。生放送だから、みんなそのまま出ちゃうからね。
苦し紛れな日記になった。今日のところはこのあたりで。読んでくれた人にはほんとうにありがとう。新しい週が、明日がまた、みなさまにもわたしにも、よくありますように。お休みなさい
by 828summer
| 2016-06-05 20:50
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