2016年 03月 15日
今日のつらつらを…(C日記 93日め ) |
今日は晴れたけれど寒い1日だった。昨夜はボランティアの先で、お茶など飲んで帰りガスの元栓閉めたか、戸締り大丈夫だよなと、急に気になりだし朝になり出勤前に見に出かける。ちょっと前に朝のニュース番組で、女性アナウンサーがたまに出かけた後、戸締まりやガスの元栓を閉めたかなど火の元が気になることがある。でもそう思うような時は、必ずやってるものなんですよねと言っていた。それを聞いて、わたしも確かにそうだったと頷いた。出かける時の用心、確実にしたかが思い出せず、気になりだすと気になって仕方がない。しょうがなしに確かめに戻っても、やっぱりやってなかったとヒヤッとした覚えはない。この要所要所の大事なところで、無意識のまましている行為に気づくと、自己に自動の防衛力、安全管理能力、何であれものごとをよいほうに向ける本能が、ちゃんと備わり働いていてくれていることが分かり、その度に安心しありがたくも思う。
ただ残念ながら9割の大丈夫だろうは、こういう場合にはあまり役に立たないとも分かった。そんなで今朝は車で出かけた。結局は自分の目で確かめないと気がすまないのだ。こういうことは、いつも悩ましい事柄だ。ポケットにいつでも、チェックリストになるメモでもしのばせていたくなる。でも自分が覚えていられる、メモなど使わない何かを思いつきたい。わたしは仕事の場面では、責任感とばかりでも片付けられない何かで、がちがち、がんじがらめに自分をしていくようなところがわりにある。やること、おぼえていたいこと、疑問、思いつきやらで、隠れた付箋だらけのデスクまわり。済むと減るが、減っただけ増えるいたちごっこみたいに。
クリアなある程度は容量のある、適切に呼び出せると安心してられる、自分の記憶力への自信のなさのなせる業。柔軟ないい塩梅を身につけたい。我ながらこの用心深さも情けない。そういうディレンマでいつも暮らしている。だからか生活の方は、わたしは絶対はないと自分に緩みがあることを許して、無駄とも思えることをする自分を残しているのが、どうも精神安定上の具合がよい。br>
帰りにTSUTAYAに寄る。読みかけの本がいくつもあるというのに、対話形式の物語のかたちで書かれたアドラー心理学の入門書「嫌われる勇気」の続編が出ていて買う。今度は「幸せになる勇気」。装丁も紙の材質から何から、前作とほぼ同じように見えて親しみを感じる、ただし色だけが前作の青から今回は赤に変わっている。前作嫌われる勇気を面白く読み、読んだ後には人にもその話をして本を貸すくらいだったので、どんなことが今度は語られるのかと、すごく楽しみ。そういうように思う存在の本に、同じところと違っているところ半々の、このタイトル、この装丁という趣向は、もはや読む前からアペリティフみたいに何とも楽しませてくれる。水木先生やマディソン郡やらまだ読みかけもあるけど、これから次は読みはじめちゃいそうだなと思う。
ご近所さんから、お稲荷さんのお祭りだったかな!?、お赤飯のお裾分けをいただく。わたしが留守などしていて、お隣の奥さんが前日の夜に預かっておいてくれ、実際は翌日の今日になり、メールで預かってるよ~の連絡があり届けてくれた。慌ててお礼の電話をし、おにぎりにして大半は冷凍してしまう。お赤飯をいただいた家は、農業ではまだ八十代のご夫婦が現役。後継ぎさんもいるが、お嫁さんは都会育ちの今風の、いい人だが農業はやる気がなさそう。外で働いていて、同居でもないから、行事食にしても漬け物にしても、さまざまな家に伝えられてきた食の生活習慣は教わっていないだろう。もうこのお赤飯も、おそらくそう長くは続かないのかもしれない。うちなんかは親が亡くなり一切なくなった。妹の旦那さんや父の実家だって、手打ちの蕎麦やうどんが美味しかったのに、もう作られなくなってだいぶ経つ。じぶんでもやらないくせにさみしがっちゃダメだね。
チェンジ日記。今日は仕事では目から鱗のことがあった。調査の電話で教えられた。長く懸案で、このことには正攻法ではどうアプローチしていくのがいいのか、わからず曖昧にお茶を濁して棚上げにしたままでいた、そのことのヒントがあった。曖昧なままでは、本社になかなか相談のしようもなかった。実は前にしたことはしたが、曖昧なままでの相談には、曖昧なままの返答が返ってきて、聞いても聞かなくても変わらなかったような。相手側にある思いの理由が、想像はしても分からないでいたから、解決についても思考がストップしていた。どちらかと言えば、おずおずとした方であったが、きちんと断る理由や、聞けばどうであれば受け入れられるかの基準をしっかり答えられる。感心した。態度として控えめなのに中味はどうしてトゥーマッチな、正しい、やさしい、オープンエンドの断りをしてくれて、普通そこまでは親切に説明しないというような、日常余裕もないし、やる気がある人も少ないがたとえあっても、なかなか様々な事情でできない、お目にかかれないタイプの対応に触れて、変な話うれしかった。刺激された。具体的にしすぎるには差し障りも感じ、喩えでも工夫すればいいのに今日はしないまま、わかりずらい話ですみません。
今日のところはこの辺りで。読んでくれた人にはほんとうにありがとう。また暖かくなるんでしたよね、たしか。新しい日が、みなさまにもわたしにも、またよくありますように
by 828summer
| 2016-03-15 20:58
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