2016年 02月 13日
諏訪の神様(C日記 62日め) |
今日はFさんからお誘いを受け、(旧制松本高校の校舎が保存され、市民に公民館として利用されている)あがたの森文化会館に、歴史家の先生(笹本正治さん)の講演があって行く。テーマは、諏訪信仰と自然、だそう。自分じゃ、きっと行かないようなテーマなので、時間もあったし、いい機会と誘われるのに任せて聞いてきた。
最初主催者は、真田丸にちなみ真田について語ってもらえればと、お願いしたらしいが、ブームに乗るのは嫌いだと断られちゃったらしい。気ままな先生!自分でもばらしてた。それで今年は御柱祭(おんばしらまつり)も控えた、諏訪大社の信仰についての話になったようだ。
山から切り出した木の上に人がまたがって、急な崖を下まで一気に滑らして落とす、あの死者が出ることもある勇壮な光景を、ニュースなどで観たことがあるだろうか。御柱は、その木落しなどで知られる、7年に一度の諏訪大社の大きなお祭り。長野では善光寺のご開帳と並ぶ、神仏の二大イベント。ご開帳の翌年に行われていて、また今年めぐってくる。
先生は地元の信州大学の副学長を、去年まで勤めて退官されたようだ。思ったことをはっきり言う(自分の面白いと思うことしかやらないんだそうだ)、未だに研究ではとがっていたいと語る、エネルギッシュな人だった。諏訪大社も、日本の神話に出てくる神様が、祀られていると一般に知られているが、それは朝廷による体制側が都合よく作った話で、先生は重きを全く置いていないと、あっさり流し触れなかった。諏訪信仰は本質は水や山や岩や風といった、自然への信仰なんだそうだ。そういうことを、神社の配置(敷地内の建物、岩や池、周囲にある山や諏訪湖や天竜川なども、神体のような働きのある信仰のアイテムらしい)や、県内のいくつもの神社との比較対照からも読み解いていけると、興に乗ったようにお話しされてた。
実のところ今日の話をわたし自身は、きっと、もうちょっと常日頃から、神社に親しんで関心をもって暮らしていれば、すごく面白いと思える話を今聞いてるんだろうと、そんな感じで聞いてた。知らないために話に乗りきれないところがあった。だからか質問コーナーで、何人もの人が質問したが、一般の人の素朴な興味に触れて、そこでようやく話に着地できて面白く感じられたりした。
中でもある人が、知ってる神社は雨にそこだけがよく見舞われ、雨の通り道に神社があると聞いたことがある。神社の建てられる場所には、風水的な何か意味があるのか、何かの自然の流れみたいなものが、あるところを選んで作られているのか、というようなことを質問をしたのに興味が湧いた。先生もそれはいい質問だみたいに反応し、寺や神社がどこに設けられているのか、ものすごく大事な視点だという。例えば地震と神社の位置を研究する学者もいたり、地域の一番磐石なところに建てられる傾向も指摘していた。パワースポットとか風水につながる話にも感じられ、地域の自然や地形や自然現象などトータルなものに注目しながら、神社やお寺は関心を持ち続けていると、面白いものが見えてきそうな気もした。
不思議も、神社も、わりにわたしは好きなので、せっかく聞いた興味深い話、これからの楽しみに心の片隅に留めておこう。
チェンジ日記的には、特にこれといったこともなく。動きを作らなくちゃと思うのだけど、まだ動き出せない。チェンジ日記が開始から2ヶ月を経過。職場に未練が出てきたようなところが正直ある。時を逃すなとの思いも一方にあり。最初の思いきりや踏ん切りのよかった決意が、停滞のなかで覆い被されてすっかり曖昧になってきてしまった。どうしたものか…。
今夜のところはこの辺りで。歯切れの悪い感じの残るままになった。読んでくれた人にはほんとうにありがとう
by 828summer
| 2016-02-13 20:33
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