2016年 02月 11日
お友だちの新しい門出に幸あれと!!(C日記 60日め) |
今日はわたしの過去二つの職場でお世話になった内の、最初の派遣先で知り合ったお友だちの、定年退職を祝うおつかれさま会。そのときの派遣仲間だった、もう一人のお友だちとささやかに開く。
昨年末にコンサートでご一緒したときに、実際は誕生日は年明けなので籍はまだ暫くあるけど、出勤は年内で終えると言っていた。お祝いしましょうよと、二人から提案したら喜んでくれ、今日の会になった。
同じ企業の中で再雇用が決まったと聞いていたが、今はもう具体的な就労先が決まり、1年毎の更新の契約もしたそう。どんな風になるのかな~、行ってみるまでは分からないけど~と、今日は話していた。2月の下旬からの開始だそうなので、「じゃあずっと休みなく働いてきて、50日くらいは、仕事を離れたときが過ごせたわけなんですね、それもいいですね」、なんてわたしも労いの言葉を伝え、彼女の思いやら色々想像したりもした。
転職の多い自分の人生と引き比べてみると、こんなに長く一つの会社で、仕事をしてこられた人には、すごいな~とまず単純に尊敬の気持ちが湧く(同い年くらいの友だちにも、折に触れて感じることだけど、定年となると余計に)。だけどまたそれを手放すときというのは、どんな気持ちなんだろうなぁ!?。さみしかったり、心許なかったり、これからの人生を正面から考えるようになったり、すごく複雑なんだろうなぁとも想像される。そんなときに、にぎやかしの一人としてでも、お祝いができてよかったな。
彼女の方は、同じ独身で同じ一人暮らしでいて、わたしより一足先に、こうして人生の次の扉を開いていく。そしてもう一人のお友だちはと言うと、年は彼女とわたしの中間にあるが、やはり次の扉を開いている。かつては気楽な一人暮らしをしていたんだけど、父親が亡くなり母親に認知症の症状が出てから、実家に戻りお兄さんと三人で暮らす生活にシフトしている。華やかで趣味の多い人だけど、仕事の能力も情報力の方も優れていて、自分の生活は支えられる在宅でできる仕事を見つけて続けている。大きな病気をしたのもあって心配だけど、介護保険のサービスをうまく使い、今はだいぶ流れができてきたようで、介護と家事と仕事のスタイルを確立させている。介護のことは難しい問題で、部外者が安易なことを言えないが、置かれた環境のストレスをうまくやり過ごせ、彼女が本来の彼女らしく、心のピースを保てることの多かれと、何もしてあげられないわたしは願うばかり。
みんなそうだけど、大事に思い、すてきな人で、すごいなぁと尊敬もしているので。やはり底力があるのがいいと思う、安心。(底力、粘り腰、思い込みの強さ、みんな重要。わたしはうまくいかないことが多かったからか、しあわせには諦めが悪いこと、転んでも何度も立ち上がったり、こういうところに価値を覚える。)
もう少し彼女の話を続けたいが、気楽に一人暮らしをしていた頃の彼女は、お付き合いの幅のほんとうに広い、楽しいエピキュリアン的なものを全開にさせてて、その頃は単純にいいなぁと、わたしにないものを持っているのにひかれていた。また何かと時々、わたしを気にかけてくれるのも嬉しくも思って、この人はわたしには合う人なんだろうな、わたしも好きだなと思うだけの関係だった。
彼女同様に、だんだん、わたしも人生が進むようになった。親が亡くなってからは特に。親戚付き合いや地域のコミュニティとの関わりも、わずかずつでも関わる年数分だけは積み重なっていくと、まぁ煩わしいとも、絆のような暖かいものともとれる相対的なものだが、自分が単純な構造体でなくなっていってることを感じる。(そうなると一つ一つ、例えば仕事などの大きなものも、正面から100%の重みで覆い被さらない、分散のありがたさはある。大変の総量も増えているが、助けもその分嵩ましされる。年取るとそういう良さは感じる。)
こうして考えると、友だちというのも、お互いにだんだん人生のステージを変えながら、お付き合いの関係が続いていくと、相手の捉え方も、付き合いかたも、受け入れかたも、深く、ゆるく、曖昧もゆらぎも惰性も共感も抱き込んで、複雑なものがいっぱいにまざりあった織物みたいに、なっていくようだなぁ。自分単体も友だち関係も。
定年を迎えた彼女が、今日は次はいつ会う?なんて言ってた。前はそんなのは滅多に聞いた覚えがなかったが、会社との繋がりが緩くなると、そこに隙間ができるのかな。わたしは、そういうゆるいものを、いくつも関係に持っているのがいいように思う。一つじゃ小さいけど、集まって全体になると小さくはない。お互いに知恵を貸し合ったり、無理なく自然体でいて、困ったら助けてと気楽に言い合い、お互いが支えつ、支えられつしていて、何となくの安心があるような、そんな状態が日常に持てていればと。だから彼女にそう言われたのは、わたしとしては密かに嬉しかった。
もう少しだけ今日は踏み込んで。自分がそうなので関心がやはりあるが、生涯独身、一人暮らし、そういうものが、かつてあったマイノリティでなく、今はある一定の割合を占める存在になってきた。社会全体が、それをどううまく社会に吸収させていくか、だんだん切実な問題になる前に、前向きに可能性、選択肢を考え、モデルを示していかないと、もう待ったなしだという時が迫りつつある気がする。それを踏まえての自助努力があるというのが、ソフトランディングな形だと思う。
この存在より一足先に、人の住まいかた、暮らしかたの、今の日本の社会構造の変化の課題を、現実に迫ったものとして、社会に突きつけているのが独居老人や老老暮らしや、子が単独に親の介護をしているような状況だと思う。わたしは自分の行く末を見るようところがあるためか、なるべく自分が将来してもらいたいように、機会があれば気遣いや協力をしたいし、そっち向きの視点を大事にしたいかなと思う。
そんなことを勝手に自分のなかでだけ思った1日だった。実際は、わたしのお薦めの韓国料理のお店で、満腹になるまでランチコースを堪能した。(完食するとは思わなかったと、お店の人にびっくりされた。ははははは。)美味いですとお世辞でなく伝えれば、体にいい選ばれたいい材料を使ってるからねと、自信をのぞかせ明るい店主から返事が返ってきた。サーブしながら気遣ってくれたのは、のびのびした知性的な料理研究家の奥さん。地元のマスコミ露出も多く、大きいお店だけれど、(一時期のブームの頃ほどじゃないにしても)活気があって、今も変わらず流行ってるお店なんだろう。美味しかった~。
そのあとは近くにある、ラテアートが自慢の一つの、山小屋風な木の内装と、モダンなインテリアがオシャレなお店でお茶しました。わたしの頼んだハニーラテは、くまの被り物をした赤ずきんちゃんみたいな絵柄。友だちはまた違う絵柄。カヌレも一つの自慢みたいで食べてみた。大きめサイズで、食感としっかり甘い感じがすごく美味しかった。カヌレトライフルというメニューがあり、それにもかなり興味が湧いて、いつか挑戦してみたいと思いつつ、お腹のスペースと相談し今日は断念でした。
チェンジ日記的には、今日の話のようなことも、仕事ばかりでなく、ライフの点も、この先のチェンジには同じくらいに重要。これから少し意識を向けて、チェンジの方向に引き込み温め育てられたらいいなぁと。
わたしとしては大言壮語な感じになって、力もない、ナニモノでもないわたしが言うのは、ためらいも感じないこともない。でもこのましいことは言ったもん勝ち。どこかで優れたひとが、回り回ったわたしの思いを拾い上げてくれるような、バタフライ効果だって、全く0じゃないわけだ。と言うわけで、今日のところはこの辺りで。読んでくれた人にはほんとうにありがとう
by 828summer
| 2016-02-11 20:39
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