2016年 02月 09日
今夜も徒然る!!(C日記 58日め) |
※フォントがおかしくなってしまいましたが、直りませ~ん。太字には意味はありません※
今日もこの1日に去来したことを少し、また徒然につれづれちゃおうかと。今日はほんとうに、ノーテーマの苦し紛れなので、予めご容赦のほどを。
家に帰り、昨日留守電の入っていた、町内会の会計さんに電話する。組長のお役目の一つの、町会費の集金をさぼってたので催促らしい。気が重かったが電話すると、悪いが年度末が近いからそろそろ集めちゃってねと。今回はこちらが悪いので仕方ないが、前にお酒を飲んで怒ってかけてきたりしたことがあってから、電話がくると気が重い。今夜はねちねちも言われず、さらっと終わりほっとした。
今年度は2度めの組長だったのだけど、今回の方がやりにくかった。二つ組がある内、片方の組長さんは何かと理由をつけてさぼる人。集まりの準備や片つけに出てきたことがなかった。いつもその度に真面目に出ているわたしは、何かわりを食ってる気がしてきちゃう。電話だって良いのに、そのことで一度だって出られないと、伝えてきたことがなかった。何かな~というものが残るまま。
また町会長さんも。例年なら町会長のやる仕事も、例えば赤十字の会費集めとか、神社の関係の集金なども、みんなこっちに回ってきた。会計さんはまた留守がちでいない人。電話で約束しても、何度も都合が悪くなったと電話一本で言ってきたりもした。おまけにねちこい性格がわたしは合わず、何度か険悪になりそうになった。トランプのスリーカードみたいだったな。やりにくい人とばかりのコンビで揃ってしまった感じの(わたしもあまり人のことは言えないが…)。中でも集金が一番嫌だったな~。無駄足を踏んで埒があかないことが多いのにまいった。ついついお金を集めに行くのが億劫で遅れがちになった。(世間の集金など家庭への訪問を、お仕事とされる方の苦労がわかった気がした。これからはなるべく協力しよう!!と。)
それもみんなもう交代だから良いんだけどね。閑話休題。
写真は松本駅の改札を抜けた通路の突き当たり。左右に降りる階段の手前には、山に向かうようにして大きく高く開けた窓が、降り立った人を迎えている。真下にはロータリー、正面の先には北アルプスが望める。今日は曇りがちで、途中からは弱まったり少し強くなったりしながら、ずっと雪の舞うお天気だったけど、昨日はうってかわり冬うららのこんなお天気だった。眩しいくらいの光に照らされて、窓ガラスに写り込んだ違う窓が残響しているよう。
この山の景色が、家から近くの梓川にかかる倭橋の辺りに行けば、視界は一気に360度ぐるりと山に囲まれる。大パノラマの中に自分が、入り込んだような感覚を覚える。それを感じながら車で橋を通る時は、ときどき自分が大きく広がったり、逆に小さくなったような錯覚を覚えることがある。まるでガリバー橋。山国にいて山には登らない、山好きな人にはザンネンに思われるかもしれないわたしだけど、いつも見ている山の存在はやはり大きい。これが見られない毎日は少し変なものだろう。
今日は夕方の会社から乗車駅まで歩く道すがらも、到着駅から家まで歩く道すがらも、日記に何を書こうかが定まらないままでいた。ただ、今夜はまたつれづれちゃおうかと、そんなテキトウな言葉が思い浮かんだ。言葉というのは、自在で自由なものだなと嬉しく感じる。
特に動詞は、相応しい言葉がなくても、こんな風にたやすく感覚で言葉が生まれる。まだ使ったことないけど、ぐぐるとかね。英語にも、どの言語にも、おそらくそういう働きがあるんだろうけど、e-mail だって、すっかり今は動詞としても使われてる。最初に触れた時は、名詞をそのまま動詞にしちゃうのか!!と、新鮮な感じがしたな~。(mail 自体は動詞でもあるけど、やっぱり気楽な言葉の自在さは変わらない。)
新たな事物が生まれると、それに呼応し言葉が追いかけていき、それを捕まえるような言葉が生まれてるんだろうな。またそういう変化に敏感な、早い人がいて、リードして新しい言葉を生み出し続けているんだろうな。言葉が生きていて、色んなスパンで生成流転するのを目の当たりにするのは面白い。俳句を始め、またブログも始めたせいもあり、定着したスタンダードな言葉はもちろんのこと、新しい言葉にも敏感でいて、馴染んで仲良くなりたい気持ちが強くなった。
書いてても今夜はいっこうに修正も効かず、中途半端な話になった。仕方がないので、今夜はこの辺りで。チェンジ日記は今夜の日記よろしく停滞したまま。仕事は目の前のことは精いっぱいやっているだろうというだけだ。同僚とは今日は一言も交わさず。いやはや何とも。読んでくれた人にはほんとうに、ありがたいやら、申し訳ないやらでいます。みなさまにもわたしにも、新しい日がよくありますように心からの願いを込めて
今日もこの1日に去来したことを少し、また徒然につれづれちゃおうかと。今日はほんとうに、ノーテーマの苦し紛れなので、予めご容赦のほどを。
家に帰り、昨日留守電の入っていた、町内会の会計さんに電話する。組長のお役目の一つの、町会費の集金をさぼってたので催促らしい。気が重かったが電話すると、悪いが年度末が近いからそろそろ集めちゃってねと。今回はこちらが悪いので仕方ないが、前にお酒を飲んで怒ってかけてきたりしたことがあってから、電話がくると気が重い。今夜はねちねちも言われず、さらっと終わりほっとした。
今年度は2度めの組長だったのだけど、今回の方がやりにくかった。二つ組がある内、片方の組長さんは何かと理由をつけてさぼる人。集まりの準備や片つけに出てきたことがなかった。いつもその度に真面目に出ているわたしは、何かわりを食ってる気がしてきちゃう。電話だって良いのに、そのことで一度だって出られないと、伝えてきたことがなかった。何かな~というものが残るまま。
また町会長さんも。例年なら町会長のやる仕事も、例えば赤十字の会費集めとか、神社の関係の集金なども、みんなこっちに回ってきた。会計さんはまた留守がちでいない人。電話で約束しても、何度も都合が悪くなったと電話一本で言ってきたりもした。おまけにねちこい性格がわたしは合わず、何度か険悪になりそうになった。トランプのスリーカードみたいだったな。やりにくい人とばかりのコンビで揃ってしまった感じの(わたしもあまり人のことは言えないが…)。中でも集金が一番嫌だったな~。無駄足を踏んで埒があかないことが多いのにまいった。ついついお金を集めに行くのが億劫で遅れがちになった。(世間の集金など家庭への訪問を、お仕事とされる方の苦労がわかった気がした。これからはなるべく協力しよう!!と。)
それもみんなもう交代だから良いんだけどね。閑話休題。
写真は松本駅の改札を抜けた通路の突き当たり。左右に降りる階段の手前には、山に向かうようにして大きく高く開けた窓が、降り立った人を迎えている。真下にはロータリー、正面の先には北アルプスが望める。今日は曇りがちで、途中からは弱まったり少し強くなったりしながら、ずっと雪の舞うお天気だったけど、昨日はうってかわり冬うららのこんなお天気だった。眩しいくらいの光に照らされて、窓ガラスに写り込んだ違う窓が残響しているよう。
この山の景色が、家から近くの梓川にかかる倭橋の辺りに行けば、視界は一気に360度ぐるりと山に囲まれる。大パノラマの中に自分が、入り込んだような感覚を覚える。それを感じながら車で橋を通る時は、ときどき自分が大きく広がったり、逆に小さくなったような錯覚を覚えることがある。まるでガリバー橋。山国にいて山には登らない、山好きな人にはザンネンに思われるかもしれないわたしだけど、いつも見ている山の存在はやはり大きい。これが見られない毎日は少し変なものだろう。
今日は夕方の会社から乗車駅まで歩く道すがらも、到着駅から家まで歩く道すがらも、日記に何を書こうかが定まらないままでいた。ただ、今夜はまたつれづれちゃおうかと、そんなテキトウな言葉が思い浮かんだ。言葉というのは、自在で自由なものだなと嬉しく感じる。
特に動詞は、相応しい言葉がなくても、こんな風にたやすく感覚で言葉が生まれる。まだ使ったことないけど、ぐぐるとかね。英語にも、どの言語にも、おそらくそういう働きがあるんだろうけど、e-mail だって、すっかり今は動詞としても使われてる。最初に触れた時は、名詞をそのまま動詞にしちゃうのか!!と、新鮮な感じがしたな~。(mail 自体は動詞でもあるけど、やっぱり気楽な言葉の自在さは変わらない。)
新たな事物が生まれると、それに呼応し言葉が追いかけていき、それを捕まえるような言葉が生まれてるんだろうな。またそういう変化に敏感な、早い人がいて、リードして新しい言葉を生み出し続けているんだろうな。言葉が生きていて、色んなスパンで生成流転するのを目の当たりにするのは面白い。俳句を始め、またブログも始めたせいもあり、定着したスタンダードな言葉はもちろんのこと、新しい言葉にも敏感でいて、馴染んで仲良くなりたい気持ちが強くなった。
書いてても今夜はいっこうに修正も効かず、中途半端な話になった。仕方がないので、今夜はこの辺りで。チェンジ日記は今夜の日記よろしく停滞したまま。仕事は目の前のことは精いっぱいやっているだろうというだけだ。同僚とは今日は一言も交わさず。いやはや何とも。読んでくれた人にはほんとうに、ありがたいやら、申し訳ないやらでいます。みなさまにもわたしにも、新しい日がよくありますように心からの願いを込めて
by 828summer
| 2016-02-09 21:19
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