2015年 12月 26日
時々の振り返るの大事なんだな(C日記 14日め) |
「こころの声を聴く」とか、「自分のこころには本当のことを知っているもう一人の自分がいる」なんてことを聞いたことがあるが、わたしは残念ながら未だそれを実感したことがない。
この休みは、片付け、ものを捨てること、お掃除の苦手なわたしが、 そこに手をつけ始めることにした。自分でも取って置きたい大事なものと、どうでもいいようなガラクタ、中には今はゴミと変わらぬようになった紙類までも混在している今の状態は、かなりまずい、そろそろ本気を出して何とかしなくてはと、ずっと思っていたので。
運気が上がるとか、人生が変わるとかは聞いたことがあるが、お掃除をするとこころの声を聴くことにつながるのかはわからない。でもわたしは、ちょっとこれに期待している。
今日は句会の日だったので、夕方帰ってきてから、あちこちの拭き掃除と、紙類の整理を始めた。結局ブログに書いて一ヶ月しかもたなかった家計簿の記入。その間のものを除き、去年の今頃から買ったもののレシートがほとんど残っていた。
ざっと目を通しながら、破いて全部ごみ袋に納めていった。雑に食でストレスを手早く誤魔化すように、時には過剰にも食べているようだったり、いろんなことが面倒でグズグズした揚げ句、もうタイムリミットだという段になって泥縄でこのこともあのことも手を付けたんだなと、その事実が見えてきたり、あまり幸せに満ち足りて計画性をもって暮らしている人のそれには思えなかった。
レシートを見ていてふと、去年の今ごろは自分がどんな気持ちでいたのか曖昧なのに気づき愕然とした。友だちと会った店のレシートなんかを見てるうち、話したことが思い出されてきて、ああそうだったわとその時の気持ちをだんだん思い出していく。
気持ちを確認する手がかりはレシートなんかでもなるし、ダイアリー(スケジュール帳)に書かれていること、そして今年は途中からはこのブログも加わった。
時に見返して、今自分がどんなところにいるか、見つめる、確認するも大事なことかもしれないと、改めて思った。
今日の句会。年末に我が身を振り返るような仲間の人の句もこころに残った1つ。
~不細工に生きて今年も歳暮るる~
作った人は、自分の生き方を不器用だなと思い返してみて、いや不器用というよりも、格好悪くて不細工だって言うほうが近いかと思って作ったと。
この句を採った選者の人のコメントも、またいいなと思った。この年になってもまだ惑いに満ちた私から見れば、子育ても終わり人間関係も豊かに広がり、良い俳句も作るし、幸せに人生の実りを謳歌していると思える人なのに、「人生、そんなに格好よく生きられないじゃないですか。そうしたいと思ったってそんな風にはならない。(感じがわかります)」と、包み込むようにこの句を良いなと言う。
それを受けて先生も、「まぁ、そんなにかっこよく生きるということもいらないしね」と、更にその思いを広く包む感じのことを言う。
昨年末からの1年、俳句は楽しみであり慰みであり発見でありと、わずかずつでも積み上げるような感じに進んだものだったかなとちょっとばかり今日は思えた。
今夜はこの辺りで。読んでくれた人にはほんとうにありがとう
“満月に聖夜を祝ふ家路かな(拙句)”
by 828summer
| 2015-12-26 22:15
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