2015年 08月 30日
リマインダー Late August(同僚と花火、久しぶり同じ夢を、講演会雑感) |
今日はわたしのリマインダーです。
台風の影響か、8月の下旬になったとたん、秋の長雨に突入したかのように雨が多くなり、気温も下がって急に凌ぎやすくなった。今年は、残暑らしい残暑もなく、そのまま秋になってしまいそうな気配。8月下旬は連日気温は9月下旬並だとか、10月並だと言われていた。これではあんまりで、夏が終わる気分にはなれないよ。29、30日の土日は雨で、しかも日曜はほぼ終日降り続いた。
8月の下旬は、句会はお休みした。そんなに大してトピックスもなく過ぎて、誕生日がやってきた。旦那様とわたしの誕生日が同じため、たまにおめでとうと、そのタイミングで手紙とかメールをくれることのあるMちゃんが、今年はFacebookからコンタクトしてきてくれた。登録だけしたまま開店休業中だったFacebook。Mちゃんがわたしの初めての友だちになってくれた。やりかたもまだよく分からないままで、いつかはちゃんとやれるようになるのかな。Twitterはたまに読むだけ、ほとんどやってないのと同じ。LINEは非デビュー。現在のわたしのSNS状況はまだないに等しい。
わたしの誕生日にたまたまそんな話をして、一つ違いの同僚が、わたしの一週間ばかり後の9月3日生まれの同じ乙女座だと知った。わたしは仲よくなりたい気持はあるのだが、彼女とはなかなか距離が縮まらない。生年月日が分かったから占いで星をみてみられるなぁ。
わたしに身近なのは、だいぶ前に少し凝った中国最古の星占いだという算命学で、何冊か本も読んだ。ananに紹介されてた辺りから入ったので、中森樹庵さんによるもの。前に樹庵さんが星を知ることで、相手のわからなかったところが理解しやすくなり、星という眼鏡を通して見ると、人付き合いに別の視点ができ風通しがよくなったと、自分の体験を書いていたな。
彼女は諏訪湖や上諏訪温泉や御柱祭りなどで知られる諏訪地方出身。彼女によると、上諏訪温泉では、7月中旬から8月末までの毎晩15分くらい、宿泊客向けに花火を上げているとか(サマーナイトファイヤーフェスティバル)。そのために諏訪に引っ越す価値があるくらいだという。日頃はさめていてシニカルな彼女が、花火を好きと話すときはすごく嬉しそうだった。彼女はこんなふうに語るときがたまにある。やっぱりそういうときの彼女は魅力的で付き合いやすいな。好きなものを語る人を見るのはいいなと思う。わたしはこんなふうに何について語れるかなぁ。
わたしの仕事は〆切が月に3回ずつある。何やかやで最近は〆切に追われがちである。後工程に迷惑がかからないように、何とかギリギリ間に合わていたつもりだったが、もう少し早くしてもらえないか、一度余裕をもって前倒しして出してもらうと、後はギリギリにならず上手く合っていくのでと、とうとう言われてしまう。負担をかけていたようだ。
その晩、しばらく見ていなかった、大学時代のわたしらしき自分になった夢をみる。試験が近づくというのに、授業に全く出ていない。あり得ない設定なのだが、履修登録すら済んでいるのか分からず、自分がいくつどんな授業を取っていて、教室がどこかも分からないような、まるでどこから手をつけたら落第せずに済むか分からない、ほんとうに嫌な夢だ。毎回起きて夢だったと、卒業した事実を思い出しホッとする。
この夢は前はよくみた。しばらくみていなかったが、どんな心理がみさせるのか、簡単に想像ができてしまう。最初に一回だけ間に合わせられれば、後が楽になると言われたときは、出来ると正直思えず、簡単に言うよな~と思ったけど、その後に何とか無理くりでやれて、確かに見通しがよくなったのは事実だった。
もう一つ取ったけで、使えてはいない資格の更新があり、一定数の単位取得が条件なのに、全く取得できていない。できれば流したくないので、いつもの泥縄式で最初はやっつけでも何とかしたい。時間切れにならないと良いのだが、だんだん状況が厳しさを増す。いよいよと思ってから、4ヶ月も浪費した。本当に手をつけないと、またあの夢をみてしまう。
澤柳政太郎について講演会は、長野県の教育との関わりについてがテーマだったが、その観点はほとんど記憶に残らなかった。ただほとんど書くことがないと、別の日に書いたが、澤柳本人については、堅物だがリベラルな理想主義の魅力が感じられた。偏狭とも言える強い独立心、反骨精神は、山に囲まれた急峻な閉鎖的な地形により育まれた、信州人の気質だと本人自らが自認していたと説明されていた。
それをよく表すように思えたのは、東北帝国大学初代総長のとき、澤柳が帝国大学で初めて女子学生に門戸を開いたという英断。また京大時代には例の旧態依然の教授たちをリストラした一方、それと同じ名より実をとる考え方を逆の方に貫いて、能力、資質に優れた人材の登用に妨げになっていた、一定の学歴など採用条件を緩和し、当時の京大では経歴面ではじかれてしまっていた、西田幾太郎を登用している。この方はわたしでも何度も名前くらいは耳にしたことがある京大の至宝のような人物なんだよね?歩いた道が確か、あの有名な哲学の道と名づけられたという。(不確かだったらごめんなさい。)
もうひとつだけ、つよく印象に残ったこと。澤柳は児童の時代の適切な教育の必要性と効果を重要と捉え、自主的で子どもの天分を伸ばす本当の教育を目指した。それが将来にわたってよく生きる人格の基礎をつくり、自主的な学びの契機になると考えたようだ。ただその先の上級の教育の意味をあまり語る事がなく、むしろ小学校での教育が理想的なものであれば、それで社会に出ても十分なくらいな考えだったようだ。澤柳自身はエリートなのに、正しい人格ができて、自学自習の性質が育てばそれで社会には十分通用するという考えがあったというのは、それから松下幸之助などを連想したが、叩き上げの苦労人から出る見識みたいで親しみを感じた。
講演の後の質問で、生成りの艶のある半袖ジャケットに茶かなんかのタイトスカートの、60歳前後のハンサムウーマンが、颯爽と立ち上がって喋ったのが、なかなか格好よかった。
同時代の同じ信州出身の教育者・久保田俊彦(諏訪出身、歌人としての島木赤彦の方が知られている)が、女子教員をかなり排斥したのと対比して考えたとき、澤柳は初の帝大で女子に門戸を開いている。どういう育ちかたをすれば、そんな風になるのかにずっと関心があった。その辺りを聞かせてもらえればありがたいという。
残念ながらと、講師からはその辺りを想像出来るようなエピソードは出てこなかった。澤柳研究の第一人者で、澤柳家の蔵書の整理にも携わった位の人物らしいが、学者ってのはそんなもんなのかな、その人のことが好きで好きで、その人のことだったら何でも知りたいって、そういう情熱で研究ってするもんじゃないのかなと、そこはちょっとガッカリもした。
ながくなった。8月30日から書きかけて、途中放ったようになって、今日は9月9日、ようやく書きかけに始末がついた。わたしてきには、メデタシメデタシで、おしまい
by 828summer
| 2015-08-30 17:12
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