2015年 08月 26日
今日も、明日も読む!読む!読む! |
ブログを始めて最近は、ほぼ毎日エキサイトブログにアクセスするようになった。お気に入りの新着をチェックしたり、もっと時間のあるときは、人気ランキングやお気に入りのブログにあるコメントから、いいなと思うブログを読んでみたりしている。
お気に入りにできるのは100件だというし、あまりふえても日々の新着チェックが難しくなる。まだ始めて二ヶ月ばかりで様子もよくわからない。あまりがつがつ慌てて選ばなくても、じっくりと時間をかけるのもいいので、登録はおいおいゆっくり増やそうとじきに手控えだして、今は20件そこそこになった。
わたしがひかれて、登録しておきたいなとためらわず追加し、新着があればすぐに読みたくなりまず最初に開こうとするもの。それは友人のものを除くと、本や映画や美術etc. に精力的に触れ、膨大に数をこなし続ける方々。手仕事、ガーデニング、アウトドアなどのレジャーやホビーが、その人の生きることと同義に見えるくらいに日々や休みの度にそれをし続けている方々。前述の二者に較べるとやや行動範囲は物理的にも知の世界にも狭く、地味にも見えるかもはしれないが、日々のそんなに大きくは変化がないようにも見える生活にときめきや好奇心を失わず、細やかに深く味わいそれを記述する心豊かなること稀有なる方々。今はその辺りに好みが似かよってきたかな。
わたしには、彼ら彼女らが、美しいもの楽しいものにまっすぐに向かい、追い求め、追求し、楽天的に味わい尽くす、享楽の達人、快楽を求めて生きることに人生の重きを置く、エピキュリアンに映る。
わたしのなかの、これまで、すぐに浮かぶそのイメージでは、杉浦日向子さんや、大学時代からの友人のMちゃん、少し違うかもしれないけど、絵を描き庭をつくり植物や動物と会話するように触れ合い、カントリー風の美しい豊かな暮らしを静かにおくり、年をとってからよりいっそう、のびのびとして自由で趣味人のようでステキだったターシャ・テューダーがそう。
わたしには芸術的な天分がないのをよくわかっていて、残念とも悔しいとも微塵も思うことがない。人間みんなその天分のようなものは違うとあきらめはいいので、自分が始めから彼女たちのようになれるともなろうとも思わない。
ただただ、いいなぁ、こういうつくりだして生きる人、ひとりで動ける人って、ステキだなと思う存在。そしてその人の考えること、やること、そのやり方を見ていると、楽しく快く感じられて興味が尽きない。まれにそのイメージが自分の気分にふっと立ち上がり、特有の感覚がしばらく続くなか、何かをしている幸福が訪れることもある。杉浦日向子さんを真似ようとおもったわけでもなく、たまたま一人で蕎麦屋に入ったその時とかに不意に(勇気がなく日本酒とかなかなか頼めないけど)。それはけっこうな幸せ!
それに近いような存在が、ブログを読んでると、あちこちに存在しているのだなと気づいた。そして同じようにわたしは、自分にはなれないものとして、嫉妬するでもなく素直に憧れを抱く。その世界に触れて、擬似的に楽しみを感じさせてもらっていることには、喜びと感謝の念に近いもの感じつつ…
人の中にある善いものを素直にいいなと認められ、興味を抱いて接していくことは、自分にないものでも、その人を通して楽しめることにつながっていく。
それは小説、映画、音楽などあらゆる芸術や創造物を享受することに共通することだけど、それが日々アップデートされ続けるブログになると、なんに喩えられるだろう。断続的に途切れず、日々に複数の人の味わう世界を、パラレルに擬似的に体験し続けているのだ。
長編を読み終えたり、見終えたりする間際に感じる一抹の名残惜しさ、さみしさは少ない。わたしの好きな朝ドラや、同じ作者の短編小説やエッセー集のような、あまり見逃しも、飛ばし読みも気にせず、身近に習慣的に触れられる小さな固まりの物語のようなものか。
わたしにも若いときには多少あったが、今は誰かに傾倒して読むことがなくなった。代わりに常に流行りものでも、本棚などにあって目についた昔読んだ本(読んだはずの本と言うのもある=ほとんど内容を思い出せない)でも、雑誌や何らかのリーフレットの類いですらいいので、読まなくても常に何かを読めるものを身近に置いておきたいと思う。
だから油断すると、わたしの回りは、本類、雑誌類、リーフレットなど紙類で溢れだす。雑多な活字好きで、紙の本が好きだから電子書籍は興味がなくて無縁でいたけど、ブログを読む楽しみはこの形体だからいいような気がする。
ブログを考え出してくれた人、技術、サービスを提供する組織・人、書く人。楽しみをありがとうと今夜は思いながら、おしまいにします
by 828summer
| 2015-08-26 20:07
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