2017年 12月 09日
木村さんは薬代わりだったが…(C日記⑤ 123日め) |
翌朝日記の日曜の朝ですが、今日は出かけないわたしの休日にしては、アーリースターターだった。と言っても前日の埋め合わせに動いただけで、ぜんぜん威張れたものじゃないのだけれど。土曜は二日酔いで、だらだらして1日過ごして、結局は外出しないままになった。ほんとうは銀行に行くつもりでいた。
お寺の普請代の寄附金集めが、年末にまたあり、日曜の朝に集めに来たいと、地区の寺総代さんに連絡もらっていた。でもぐずぐずとお金を下ろしに行かないでいて、翌朝のセブン銀行って手もあるなと思いついて、翌日の早起きをきめた。セブン銀行って滅多に使ったことなかったけど、多少手数料は取られてもやはり便利だ。普段使わないので、取り扱い時間が不確かで、7時から使えると思っていたのに8時からだったのが誤算。20分前で使えない間、しょうがないから、朝ごはんを食べて待っていた。でも8時15分に来ますと言われていたが、サービス開始と同時に下ろして帰り、ギリギリセーフ。ネットバンキングは嫌い、ニコニコ現金商売なわたし。今どきセブン銀行でも、有り難がっちゃう絶滅危惧種かもな~。
調子わるいときに読む本ってありますか? わたしは幾つもある気がするけれど、読むと気持ちがすーっと、整えられていくようなというか。論の展開だったり、書き手の精神に流れるものが、自分の心の平穏に繋がるので、何を読んでもいいし、同じ本を繰り返しでもいいのです。わたしは奇蹟の林檎の、木村秋則さんもそう。合うんです。変わり者さもわたしには気にならない、自分が好きなように向いた変わりかた。木村さんの語るのをただ読むと、わたしは心が気持ちよくなる。同じようなはなしの繰り返しも飽きることがない。その思考の流れが好きなのだとも思う。一見変わっているけれど、ただ真っ当なだけ。今の時代が自然な状態を離れ、大きくむかしと変わってしまったから、その変わってしまったことにすら気がつかないと、変にしか感じられないけど、わたしは知ってるし、よさをそこに覚えるから、はなしが当たり前の真っ当なことを言ってるだけに感じるし、元気がでてくる。年寄りのする昔ばなしを聞いてる感じもある。
水曜日に見つけて買って読んでいたのは、「大切な人を早死にさせない食」(東邦出版刊)。2012年刊行の、『百姓が地球を救う』が加筆訂正された形で、改題の上この11月に発行されたらしい。土のことについて、かなり紙面の多くが割かれ触れてられていた。有機栽培なら良さそうと単純に捉えるのは、早まった考えで、完熟でない有機肥料の自然に与える害も大きいとか、前にも木村さんの推進する、自然栽培とは似て非なると、その事も読んだ気がするが、すっかり忘れていて初めて聞くような話として読む。農薬・肥料・種苗会社により、画一的に広がっている今の農業、農産物の現状についても。それ自体は収量を効率的に確保するため、戦後の人口の増加に対応して、言わば善なるものとして発達を遂げたきたもの。規格の揃った見映えのいい野菜も、スーパーで画一の価格で売るには、至極当然の要請から生まれたもの。でも今の異常気象(温暖化を含めて)は、その現代の農業の進みすぎた発達の結果、作り出されているという報告があると、木村さんの長年の自問自答の農業の研究と実践を通じた実感にも合致するらしいが、書かれてもいた。そのことは木村さんの本で前にも読んで気になっていたが、普通に暮らしマスコミやネットに触れる中では、今まではわたしは目にしたことがなかった。肥料を撒いた農地から発生する亜酸化窒素ガスが、オゾン層を破壊する主たる要因だとする、その報告の出元は2009年の、アメリカ海洋大気庁によるものだとか。公害についての発表には極めて慎重な体質を持つ、アメリカによる発表だという点も、いかに対応が急務で、事態が差し迫ったものか、そのシリアスさが想像されるとしていたのも心に残った。
今までは楽観的でまだ間に合うと思いがちのわたしだったりしたが、今度の本は一読して深刻さが待ったなしの、どこからその大きな塊を、わたしたちは崩していけるのかと、途方にくれる暗い気持ちにさせられた。元は悪からでなく善から始まっている、その人の進歩や向上への歩みや積み重ねが、行きすぎた結果として、今度は人の首を締め出す。それに気づかないままに、わたしたちは享受し続ける。受け手の意識が変わらないから、一旦もう利権が生まれた、ぶら下がるものの生活も抱えた提供側は、下方硬直のまま進むのが寧ろ自然な姿。現状をよい方に、変えていく方に、コストを払っても、受け手がその姿勢を支持しないと、この大きな現況は簡単には変わらない。木村さんは希望を語るけれど。木村さんに賛同するひとも増えてもいるようだけれど。わたしなんかはまだ関心がある方だから、そんなこという人は回りにほとんどいない。何だか今度は途方もなく前途を感じた。日本や世界の政治に関心のある人なら、リベラルな希望のある社会をと考えたときに、極めて根は一緒のものだと思うから、読んで知って関心を持って、木村さんの自然栽培のように、ラジカルすぎない、自然と闘わない、草の根からの土壌改良のように、ひとの意識に、ひたひたひたと水がつたって、あたり一面に次第次第に広がって、大地を浸してゆくような、そんな関心と小さなアクションを続けていくこと、回り道なようでそれが一番の確かな近道かなと、わたしなどは思ったりした。木村さんは自然やからだにいい農業をやり、革新者の一人としてその仲間を広げようとして生きているが、どうも今年になり胃癌の手術を受けたらしい。それがわたしをそんな気分にさせたのかもしれない。
レベルの低い大言壮語のようになり失礼しました。わたしは占い的にサインは、地のひとなので、やはり土のことには興味が湧くのです。少しでも興味があるかたは、木村さんもその入り口と、是非読んでください。今日のところはこのあたりで。読んでくれたひとにはほんとうにありがとう。新しい日が、昼近くになりましたが、この日曜日がまた、みなさまにもわたしにも、それぞれによくありますようにね
by 828summer
| 2017-12-09 14:08
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