2017年 11月 06日
まじめにやるとやはり疲れる(C日記⑤ 90日め) |
会社の窓から見える堤防ぞいの桜は、開花も早いが紅葉も早めなよう。先週末もずいぶん進んだと思って眺めた覚えがあるが、連休明け来てみれば、ほぼ全体がオレンジに染まってきた。それが風がわりに強い日で、あれっと気がつくと、枝先の葉が舞ったらしく少しすいてしまった。こんなに早く散ってしまうものだっけとさみしいが、ただ吹きさらしの風がつよい場所だからだろうか。帰ると家の木もだいぶ葉が落ちていた。踏みしめられるほどで、落ちたばかりの葉は独特のよい匂いがする。翌日は帰ったら少しは掃かなければと思った。
日誌を付けだしたら、それなり家でも動きだした。久しぶりに歩いて電車にも乗り、帰って間を置かず一時間弱は雑事をやって一休みする。それなり疲れる(コーヒーとおやつにと前日に買ったが食べなかった、クルミとチョコチップのパンを食べたらうそのように回復した)。普通のひとの当たり前がわたしにはかなり大変に思えている。うちの母は真っ正直な人だったと思うが、わたしには意地悪を言うところがあり、妹には言わないのに、わたしにばかり何度も、お前は“のて”(ものぐさの方言と思われる)だとか、しょっぽねが悪い(土性骨が座っていない、意志が弱くてつい楽なほうに行く根性なしのような方言か!?)とか言われた。極めつけは、小学生の頃だったかに訪問販売に来たミシン屋さん(何か子どもの名づけを、お願いにされたりするような、よくは覚えてはいないが易か何かもやる人だったかもしれない)によるもの。何でもわたしには負け犬の相が出ているから、気をつけた方が良いと言ったとか言わないとかで、お前はお母さんが見ていて心配して注意している通りだみたいに、そういう傷つけるようなことを言う。何れもことあるごとに言われた。子どもの頃のわたしは、大人びた生意気なことをかなり言ったようで、大人をへこませることがあり、敬遠されたり意地悪も言われた覚えがある。母も親ながらその仕返しや腹いせに、教育的にとは理屈をつけているが、つい言ったような節もある。大人になるとそんな気がする。たしかになまけものの性分は、生まれつき傾向が妹よりはあるだろうが、だが子どもだったわたしにも、それは自分に自信の持てない、ネガティブな楔を打ち込まれたようなとこがあった。蕀で編んだチョッキを着ないと、かけられた呪いがとけないんだったか、そんなような童話があった気がするが、あれと一緒になって母から、言われたことを思い出すくらいだったから。もうほとんど解けているだろうが、はー、でも今日で水に流せたらすっかり流そう。日記にも思い出して書いたことだし、すぐにはきれいさっぱり流せなくても、今この時からこの感情は水に流すと決めて、そうできるように何度も繰り返し、自分に分からせ続けようなどと、パンを食べながら考えていた。母親との関係なんて、だいぶ大人になって知ったところによれば、かなりな割合で人は傷つけ傷つけられての記憶を、抱えているらしい。わたしもその一人なだけなのだろう。
変なはなしになったが、今さらタイムアップだから、修正も効かない。このままで。今日のところはこのあたりで。読んでくれたひとにはほんとうにありがとう。新しい日がまたみなさまにもわたしにも、それぞれによくありますようにね
by 828summer
| 2017-11-06 18:43
|
Comments(2)
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iomlove at 2017-11-07 21:30
そのままを受け止めるね。
安心して!
理解者がいることをね!
言葉とは時に刃物になるけど
その言葉で繊細になってしまう事もあるけど
そうではない言葉もあるし
いつでも気持ちを豊かでありたいよね。
それはお互いの共感出来ること。
私はそう思ってます!
安心して!
理解者がいることをね!
言葉とは時に刃物になるけど
その言葉で繊細になってしまう事もあるけど
そうではない言葉もあるし
いつでも気持ちを豊かでありたいよね。
それはお互いの共感出来ること。
私はそう思ってます!
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828summer at 2017-11-08 00:24
ラブさん
今晩は。心配させちゃったみたいでごめん。
わたしは大丈夫なので安心してね。
いまはもう乗りきれていて、傷は傷でもかさぶたみたいなのものではない、それでも痕があるのはわかる古傷みたいなもの。平気になれているので書いているのだけど、そんな風な思わせてしまったかな。
そんな傷でもやっぱり何か時に疼いたり、本来の自由に振る舞える自分を阻害したり、見えない影響はあるかもしれないと、見えた時にしっかり古い傷の痛みを浄化するのも、案外にこれからのわたしにいいかな、とそんなつもりで書いたのだけどね。
ま、だけど、子どもはね、されたこと言われたこととかダイレクトに入り、なかなか跳ね返せないから難しいけど、今となればどっちの気持ちもわかるから、母親を恨む気持ちもないんだよね。
今となれば、例の負け犬の相の発言には、出てるからって、だからどうしろっちゅうのよ、って、それを言わないなら、言わないでおくほうが、寧ろいいんじゃない、って気もしたりね…。高いお金で祈祷とか言われても困っただろうけどの。でもそんな良質の占い師ではなさそうだよね。視た相手に悪い運命が出てるなら、それをポジティブな方に向くように変える、自己暗示になるような言い方を、わたしが占い師だったら、相手にはしたいと思うもの。今だったら何言ってるんだ、負けるもんかとか、そういう傾向あるなら、その道にいかないような努力しようとか、よい方に取ろうとしただろうけど、やっぱり難しかったみたいね。当時のわたしは…。
心の旅は今となれば、けっこういいものだよ。そういうものがあったから、よりそっちに意識の向く半生だったし。なぁんて、まだまだ道なかばですが。じぶんと仲よく楽しみたいです。
直球が来たから直球で返しましたが、気恥ずかしいようなだわ。
ではではね(^^)
今晩は。心配させちゃったみたいでごめん。
わたしは大丈夫なので安心してね。
いまはもう乗りきれていて、傷は傷でもかさぶたみたいなのものではない、それでも痕があるのはわかる古傷みたいなもの。平気になれているので書いているのだけど、そんな風な思わせてしまったかな。
そんな傷でもやっぱり何か時に疼いたり、本来の自由に振る舞える自分を阻害したり、見えない影響はあるかもしれないと、見えた時にしっかり古い傷の痛みを浄化するのも、案外にこれからのわたしにいいかな、とそんなつもりで書いたのだけどね。
ま、だけど、子どもはね、されたこと言われたこととかダイレクトに入り、なかなか跳ね返せないから難しいけど、今となればどっちの気持ちもわかるから、母親を恨む気持ちもないんだよね。
今となれば、例の負け犬の相の発言には、出てるからって、だからどうしろっちゅうのよ、って、それを言わないなら、言わないでおくほうが、寧ろいいんじゃない、って気もしたりね…。高いお金で祈祷とか言われても困っただろうけどの。でもそんな良質の占い師ではなさそうだよね。視た相手に悪い運命が出てるなら、それをポジティブな方に向くように変える、自己暗示になるような言い方を、わたしが占い師だったら、相手にはしたいと思うもの。今だったら何言ってるんだ、負けるもんかとか、そういう傾向あるなら、その道にいかないような努力しようとか、よい方に取ろうとしただろうけど、やっぱり難しかったみたいね。当時のわたしは…。
心の旅は今となれば、けっこういいものだよ。そういうものがあったから、よりそっちに意識の向く半生だったし。なぁんて、まだまだ道なかばですが。じぶんと仲よく楽しみたいです。
直球が来たから直球で返しましたが、気恥ずかしいようなだわ。
ではではね(^^)