2017年 10月 10日
あやかりたいっちゃ、あやかりたいな!(C日記⑤ 63日め) |
また翌朝日記。西に見える手前の低い山が、明らかに色が違ってきた。上の方は特にかなり茶が混じる。少し前は緑が褪せてきたみたいに、色の感じが微妙に違って見えるものの、まだ茶色は遠目に見る限りは、混じっては見えなかった。何かあっという間に変わる。うっかりしてるだけだろうか。地面に落ちる雨の音さえ、注意深くていると、季節によって音色が変わっていくのが、分かるのだというのをだいぶ前に読んで、何とはなしに気にしてるのだが、未だにそれも分からない。それは長くお茶を続けていて、同じ茶室で聴く雨の音だったかもしれないが…。色々と憧れることは多いが、その道は果てしなく感じる。その話と同じ本では、コップに溜まる水滴に喩えて、見聞きし感じることが、幾重にも重なっていき、ある日に急にそれまでとは、わずかだがはっきりと違うように、感じられだすと言う。雨音が違って聞こえるのも、ある日に急に、容器に溜まった水滴が、限界を越えて溢れだす、そんな感じに急にやって来るのだと。同じような喩えで、何かを始めた時も、何かにはまりこんだような時も、今は山を登っているようなもので、視界がいつ開けるとも分からないような、長い時間ばかり永遠に経つような苦しい登り道だが、足を止めずに何とか一歩一歩でも先に歩みを進めていると、ある日ちゃんと、急に目の前の視界が開け、平らなところに出る時がある。それが人間の竹の節みたいなものだと聞いたこともある。わたしはどちらの喩えも好きなエネルギーのない根性なしだ。
会社帰りは場所を教わったままに、普段さんざんお世話になってる知人の家に、お父さんのお参りに伺う。来てくれたからと奥さんが気を遣ってくれ、お花やらお菓子や果物を持たせてもらって帰ってきた。行くのは多少気が重かったが、喜んでもらえたようで、まぁ、行くのを勧めてくれたひとには感謝だった。断ったが更に勧められたので、たくさんの残った祭壇の花を貰ってきたので、夜遅くに落ち着いてから、みんな飾った。少し前に貰ってきた、講演会の演壇の花や、ススキ、今はそんなで珍しく家は花や植物に溢れる。会社の居室の窓から見える、成長の早い木が、少し前に盛大に枝を払われて、丸坊主に近くなり可愛そうに思っていたが、今日は気がついたら、もう葉がそこに出てきていた。植物のエネルギーっていいなぁと思った昼間。夜は夜でたくさんの花を生けて、何か植物のエネルギーを、貰ったような一日だったなぁと思う。
まとまりないままにただ書いて、サドンデスだがタイムアップ。しょうがない。今日のところはこのあたりで。読んでくれたひとにはほんとうにありがとう。新しい日がまたみなさまにもわたしにも、それぞれによくありますようにね
by 828summer
| 2017-10-10 21:15
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