2017年 09月 22日
電車を乗り継いで出かけ、夜にはコーヒー豆を挽いた日(C日記⑤ 45日め) |
むかし韓国に行ったときに、ハンジュマクに行ってアカスリをやってもらい、出るわ出るわのアカの量にびっくりしたのと同じくらいに、いま読んでいる本に書いてあることの通りだったら、目からは鱗のことがポロポロ。これまで思っていたのとは、わたしが望んでいたように話すというための、メカニズムは実際は違う、そういう思いがけないことが語られているが、でも言われてみれば至極当たり前にも感じられる話だった。何だそんなに簡単なことだったかと、思いながら読んでいる。
話し方についての本なんかを、何で買ったかと言えば、何でそのことを不用意に話してしまったかと、自分のその言いたくなってしまった気分について、つい先日に後悔したことがあったせいだと思う。普段は忘れているが、何年も前に他人にぶつけられた、ある理不尽な態度のことが、あれはいったい何だったのだろうと、未だに心にひっかかっていて、意味がわからず疑問に思ったまま答えが出ずにいることがある。当事者でもあるので、相当に気分を害したが、飲み込んだまま、心に溜まり昇華できずにいて、ただし今までそのことは人にあまり話したことかなかった。それを意図せずに先日うっかり話の流れでわたしは話してしまった。話してみて、話さなければよかったと、今では思っている。同じような過去のひっかかったままのことは、考えたら幾つかあるが、思い出す限りもう一度、似たようなシチュエーションで、口にしてしまい、後悔したことがあったのを、いま書いていて思い出した。
読んでいる本は、順天堂大学医学部教授・小林弘幸著「自律神経を整える 人生で一番役に立つ言い方」(幻冬社刊)。たぶんこれは証明が出来ると思う。自分にも周囲にも、よい空気を作り出すような、話し方をする人というのはあると思うが、そういう世界を持つ人を、誰か思い浮かべられたら、たぶんその人にこの説が当てはまっている気がする。自律神経の働きから、話すということにアプローチしないと、あんまり話し方ばかり考えても、意味がないと語られている。この本を読んでいたら、たぶんあのやりとりには、ならなかったと思う。読み終えないうちから、この本に書いてあることは本物だ、という直感があるが、今日はなぜか上手く説明できない。回路に電気が流れて短い言葉にならない。
週末には1Q84とこの本を読み終えたいなぁ。金曜はボランティアの研修で、短い時間に心が通う感じもだいぶあった気がして、1週間の終わり、かつ1日の仕事終わりの後の、更に数時間を過ごしながら、終えたあとに疲れが薄れる気がした。この感じは木曜に歩いて帰った後にもあった。たぶんどちらもアプローチは違っても、メカニズム的には、自律神経が整ったからという、説明もつけられる気がする。すぐ使いたくなる魅力的な働きなのだ。
脈略なく断片的な話で失礼しました。今日のところはこのあたりで。読んでくれたひとにはほんとうにありがとう。新しい日が、このお彼岸の土曜日、大安吉日の1日がまた、みなさまにもわたしにも、それぞれによくありますようにね
by 828summer
| 2017-09-22 18:41
|
Comments(0)