2017年 04月 24日
あーあ、今年もある意味、着々と(C日記④ 91日め) |
翌朝日記だが今日はゆっくり。お葬式に行くのに有給を取った。これでまた有給を減らした。何度も書いているが、うちの会社は飛び飛びになる休暇を連続にしたり、大型休暇を長めに設定する傾向がある。でも何のことはない実は各人の有給を連休にくっつけて取らせ、結果的に長く見せているだけのこと。会社も個人の権利を、建前でも勝手には操作はできないので、時期にはそれへの同意に署名している。このGWも2日間がそうして自動で消化されることになっており、連続で都合9日間の長い休みが与えられる。長い休みはだから嬉しいが、嬉しくないというか、少し前に今年の有給が発生し、通知されたが、当然の如くわたしは前年分は使いきっていて、新たに発生した七日間しか表示されていなかった。そんなわけで元々少ない、今の会社のわたしの有給休暇。ここにきてからはずっと、ほぼ体調不良と葬式で使いきり、最後は毎年数日は欠勤の形で休んでいる。
実は今月は1つはお香典を預けたが、たまたま葬式が2つ続く。お香典が出ていく上に、半日早退で給料から引かれるのが痛いので、休みが減るのも痛いが、もう休みを取っちゃった。幸いにわたしの年代はまだ、人が亡くなって純粋に哀しい、そんな思いで行くお葬式が案外に少なく、ご家族に対してはお寂しいだろうなとか、悼みながらは行くけれども、義理で行くというのが大半というところ。自分も一応は喪主を務めてきているせいか、何となくお葬式には相互扶助的な、そんな風なものに思っていて、出ていくお金はまぁ痛いが、お香典を出すこと自体は、当然と言うかあまり気にはならない。葬式はお金がかかるが実際は、参列者があるお葬式というのは、ここら辺りはとんとんくらいではないのかという気がしている。行っていれば来てくれ、半返し以上しても、親戚は多く持ってきてくれるので。最近は家族葬が増え変わってもきたが、これが旧来までの田舎のそれで、いまはまだ生きている慣習なのだと思う。新しい潮流とこれまでのそれが、この先はどんな風に世界を変えていくのか、まだ分からないけれど、わたしも九年間ですっかり、この価値観に染まったなぁ、と思う。まぁ、わたしは変革者的ではないので、これで行くところまで行くのだろう。地域の互助的なものなども、ネット社会の内と外なのか理由は分からないが、ある年代からは合理的なものが優勢になり、価値観のギャップがあって、旧来のものが残るか消えるかの、今はかなり過渡期にあるような気がしている。わたしはわりに早めに、こっちに足を突っ込んだ感があり、どっちつかずの気持ちで眺めているが、寧ろできるだけ留まる方にいて、行方を見守りたいような、言葉は悪いが見てやろうみたいなところも、今はあるなぁ。
お葬式や休みの話からはだいぶ脱線した。今日のお葬式は親柄み、ご近所柄みで行くのだが、たまたま喪主のかたが、わたしの大学時代の教育実習の時に、お世話になった方だった気がすると思い出した。こちらは分かっているが、あちらは忘却の彼方のことだろうし、そのことに触れることも、言葉すら交わすこともないかもしれないが、今はどんな感じに変わってるのかしら、そんなに変わらないのかしらと、ご家族の思いを悼む気持ちの傍ら、そんなことも思っているわたしです。今日は変な話ばかりになり失礼しました。今日のところはこのあたりで。読んでくれたひとにはほんとうにありがとう。新しい日がまた、みなさまにもわたしにも、それぞれによくありますように
by 828summer
| 2017-04-24 18:09
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