2017年 01月 04日
また始まる(C日記③ 160日め) |
あぁ、終わるときは、早かったといつも感じるお休みだなぁ。たまには、もう、さんざん休んだ、働きたくて働きたくて堪らなかった、休みが終わって嬉しい、と言いたいところだが、今まで一度も思ったことがない気がする。そのセリフはいつかの4月1日までとっておく。ま、今年のその日は土曜日だから、少なくとも言う気になることはないだろうが…。まぁ、それが普通の人ってもんか。
昨日観た去年に引き続く第2弾の「富士ファミリー」は、前作に増してよかったような気がする。やっぱり最後にまだ暫くは成仏していけないや、というユーレイ役のキョンキョンや。色んなすっぱりできない未練とかが、カッコ悪いけど良い感じでもある。もう忘れちゃったけど、セリフにも良いのがいっぱいあった。この世に生きてるのを、勘違いからもうわずかだと思い始めたら、馴染んだ目にするものみな愛しい、と薬師丸ひろ子がそっとあちこちに触りまくってるのも、それが高橋克実の頭とかだと笑えるけど、そういう感覚がいいなぁ、なんて思う。普段はすました様子をしている女性が、蕎麦を食べるのに一生懸命になって、かけている眼鏡がずり落ちてるのも気づかず、食べている姿を見て、それがいいなと思ったみたいなことを、お見合いした女性に振られかけた小倉一郎!? が、相手に向かってつなぎ止める説得になりそうにもないのに、淡々と語りかけているところも。それが相手を動かしちゃうのも。
モーレツ婆さん役の片桐はいりと、一癖ありそうな爺さん役の鹿賀丈史が、掴み合いの大喧嘩をした後、少したって仲直りしてしみじみ話してるとこも。何かよかった。あのくらいの年になると、同性だって異性だって、みんな違った人生を生きてきてるけど、どこか共通なタフな闘いを連戦してきた、同士みたいなものを感じるときがあるのかなぁ。急にこころの距離が近づくみたいな感じがした。年取ってあんな風に感じられるなら、年取るのもいい気がしたし、ドラマ自体、全体にトンチンカンさがあって、面白おかしいんだけど、何か深い感じも昨日は凄くした。そういうの観ていたら、まだまだわたしは、枯れた境地にはなれないな、と自分の煩悩の強さ、生きる方に貪欲なのを思い出したりも…。そんなわたしだから、少し外した、こういう視点を持てたら、ちょっと違うかもと思った。
まぁ、映画もドラマも観たし、人にもそれなり会い、日の出も見られたお正月だった。年末の仕事は色々スローペースで持ち越しが多く、悪い方を見れば減点ばかりだけど、そっちはあんまり見ないで、今年は淡々と積み重ねる、サボりながらもやれることを一個でも二個でも、できたらやりたいと思うお休みの最終日の夕方。喩えるなら貯金箱にコツコツ貯金する、精神とでも云うのかな。年末にガソリンスタンドで読んだAERAが、続きをもう少し読みたいなぁという途中で、タイヤ交換が済んでしまっていた。本屋に昨日まだあったので、買ったのを今日はだいたい読んだ。ちょっとした生活必需品が切れて買う必要が出て、歩いてコンビニまで買いに行こうと思うが、意思が弱いから強制的に運転できないようにと、昼にワインを飲んで夕日を見ながら行ってきた。こんなわたしで、また明日からは通常営業を始める。
とにかく今年はゆるく生きたい=行きたい、あまり立ち止まることもなく、と思う。へなちょこの抱負でいい。無理に上げたりも下げたりもせず、ここから今年はスタートで、年末にはいわゆるステージは今より、上がっているのか、下がっているのか、変わらないのか。できたら少しでも上がっていたらいいなぁ、という小さな夢だけはもって。今年どっかで読んだが、耕しながら夢をみるを、今ここにpinで留めておきたい。青っぽい、こんなことばかり云う、わたしは死んでも直らなそうだけど、休み休み言いますので、今年もご容赦くださいね。今日のところはこのあたりで。読んでくれたひとにはほんとうにありがとう。新しい日がまた、みなさまにもわたしにも、それぞれによくありますように。まだ少し早いけどお休みなさい
by 828summer
| 2017-01-04 16:42
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