2016年 12月 27日
来年のわたしの最初の人参は…(C日記③ 152日め) |
今年はこれで仕事納め。何となく今日だけは、何はともあれだけど、それでもこの1年あなたもご苦労さんと、自分とひとりだけの、打ち上げをして帰ってきたい気がした。独りってのも慣れると、さみしさを感じることは、案外に少なくて、こんな風に自分としみじみ親しむ時間を、無性に求めるような気分になるときがある。それも家の中だけでなく外でも。人と出かけるのとは、また別の愉しみがあるんだと思います。
そんなような気持ちを携えて、帰りにはもう何度か一人で行っている、韓国料屋さんに寄ったのだけど…。店に入ったら、いつもはのんびりした明るさがあって、こころに波立ったところがない感じの、一人でも気楽な印象が強かった女性店主から、明るいいらっしゃいませがなく、逆に低い濁ったような波動を感じた。携帯にかかってきた相手にも、お客に聞こえてるのに、苛立ったような口調で何か言っていた。お酒は大好きだけど、もう来年から止める、お酒を飲むと成功できないから、なんて馴染みのお客さんに言っていたのも、何か投げやりな言い方に聞こえた。実は成功というのが、最初はセクシャルな方のそれに聞こえて、わたしはぎょっとした。後から考えると、成功のことだったと気がついた。
注文から意思の疎通が上手くいってなくて、頼むのを止めたと思っていたチャプチェが出てきた。テーブルのカトラリーのセットに、箸が入ってなくて持ってきてもらったすぐ後に、今度は頼んだ餃子にラー油が一緒に出てこないので、また呼んでお願いした。チャプチェは注文をしてないと思い込み、頼んだユッケジャンとご飯が来たので、何とか頑張って全部食べようと思っていたが、来たスープが今度はだいぶ塩辛い。何とかなるかと我慢して食べていたが、半分くらいのところでもう無理と、わたしには塩辛いので少しお湯を入れてくれないかと、結局は言ってしまう。自分がクレーマーみたいにも感じられてきて、下手な印象に聞こえるようにと、何だかこっちが言い訳したり、謝ってばかりいた。
メニューも少し値上がりした印象。リーズナブルなセットメニューが無くなり、メニュー自体もややダウングレードした感じがした。いつもわたしが行くときは、人が少なかったけど、あまり儲かっていないのか、年の瀬に思うところあるのかな、なんて深読みしてしまう。ただ今日は当たりが、悪い日なだけなのかもしれない。色んなことがことごとく残念に感じちゃうことが続いて、来なければよかった、行かずに家で何か作って食べてた方がましだったと、どんどんそんな気持ちが強くなり、最後まで救いの訪れないまま店を出た。最近の一人のお外ごはんとしては、こんなことあまり覚えがなかった気がする。わたしの波動が低くて、呼び寄せてるところがあるのかな。だったら気をつけないとねとも思ったり。
お口直しに、丸善に寄った。目当ても集中力もなく、本や雑誌などをぷらぷら見ていただけだが、興味があるものが目に留まった。どうもNHK ラジオ第2放送の文学講座みたい。テキストを買うのも初めてだったし、木曜の夜8時半からの、この枠の番組があるのも初めて知った。たまたま、落合恵子さんが、近く再読したいと、書かれていたのを読み、わたしも正月休みに開くつもりでいた。わたしにはかなり高い本だったが、何となく惹かれてだいぶ若い頃、買ってはみたものの何だか高尚さと佇まいが敷居高く、途中で、しかもかなり前半のところで、挫折していた本。名前だけはかなり有名だと思うが、ソローの森の生活という本。どうやら生誕200年にちなんでらしい。新年の5日から、敷居が高くていたわたしのような人にも向けて、森の生活をラジオで紐解いてくれる。真田丸も終わっちゃったし、午年のわたしに新しい人参を、探したいと思っていた。走ってもらわないとね。怠け者だから、何か与えとかなくちゃね。
だらだらとまたこんな話で失礼しました。でもですね、「ウォールデン――森の生活」ですが、興味のあるかた、来年は一緒に講座を聴くのもいいかもですよ。テキストの冒頭に曰く、建国から間もないアメリカに生まれた著者の、1854年刊行の哲学書、森と湖(ウォールデン湖)の自然史、隣人とは何かを考察する宗教書、衣食住と農業の在り方を探求する暮らしの本の、どれにも当てはまるこの書を、人は昔から繰り返し、混迷を極めた時代に、手にとって開いてきたと言いますから。わたしは今度は何とか挫折せぬように。今日のところはこのあたりで。読んでくれたひとにはほんとうにありがとう。新しい日がまた、みなさまにもわたしにも、それぞれによくありますように。お休みなさい
by 828summer
| 2016-12-27 19:52
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