2016年 12月 11日
何それ!コブのない駱駝は馬だって!?(C日記③ 136日め) |
今日はろくに家事もやらずだらけて、きたやまおさむ著「コブのない駱駝」を読了。(音楽家でもあるが)精神科医の著者は、本書で自らの職業上の手法である精神分析を使って、自らの幼少から現在までの人生を振り返り、自分の性格や考え方がどう作られ、どんなものであるかを分析している。前書きには、それを通し、読者が生きるヒントを獲得する手がかりになることを願い、また少なくない読者が精神分析自体に、興味を持つようになればという、野心的な思いからでもあるみたいにあった。今年は「鬱屈精神科医占いに~」も読んだが、あれに比べると読みやすくて、終始安心して読める、だいぶ抑制のきいた文章に思えた。
冒頭から語られるところによれば、父は開業医で、母はそれを支え、共に働くような家庭環境に育った。仕事で親は忙しくしている上に、自己犠牲的で抑圧的な性格だったようで、家の中では重苦しさや、愛情面では寂しさも感じる少年時代だった。1946年生まれで京都に育つが、戦後間もない時代の、価値観の激変からくる大人の戸惑いも敏感に感じとり、歴史のある古い都市の風情も、子ども心には怨念が漂うような、薄暗くて怖いようなものだったと、幼い頃の印象を振り返っている。その中にいて、自分はこんなではなくて、もっと明るくて軽やかで楽しい世界に、ここを早く抜けて出ていきたいという、そういう欲求を抱くようになっていったらしい。親の希望で医大に入るが、平行して音楽の世界にも開かれていく。アマチュアの学生バンドでフォークをやっていて、解散記念の自作のアルバムの曲に、帰ってきたヨッパライがあって、それに火がついた。期間限定で音楽活動を再開し、一年弱で解散(アマチュアの気持ちから脱しないままの、プロの世界には解散時には様々心理的な傷を残したらしい)。著者は医大に戻り、作詞やラジオパーソナリティなど、求めに応じ片手間で細々の芸能、音楽活動を続けたらしい。(作詞家としては、戦争を知らない子どもたち、あの素晴らしい愛をもう一度、など多数の名曲を作っている)。
医大に戻って以降は、キャリア的にはかなり順調なように思えた。音楽家としては世代的に、ビートルズへの憧れや羨望があったことも影響し、精神医学を学ぶ場としてイギリスに留学し、かなりの成果を残したらしい。そこからはまっすぐに、今のフロイト的な精神分析に重きを置く精神科医の道に進み、やがて大学で教える研究者としての道までも開かれていく。自分を語る背景として、音楽を取り巻く時代状況など、面識のある具体的なアーティスト名、エピソードを交えて語るところは、かなり興味深かった。最初から様々なエピソードと共に語られてきたが、親友の加藤和彦の死について語るところでは、抑えた筆致なのに、引用されていた新聞掲載の追悼文には、思わず号泣させられた。その部分の含まれる章は“潔く去って行かない”、というタイトルで生への執着の肯定やヒント的で、最終章となっていた。全体に問題提起も多かった気がする。今の日本でも有名人の薬物の問題が話題となるが、偶像を常に求められ続ける内外の音楽家が、それに疲弊し空しさを覚える、そこに潜む危険を分かりやすく語ってもいた。
雑多だが読んでかなり面白い本だと思う。深刻な人にはどうかと思うが、読むことを通して今よりは生きやすくなるヒントを、見つけようと思う人にも悪くない本だとも思う(きっと)。感情移入して読むのを妨げない方が良いで、触り程度に今日は書いておいたつもり。人生には楽屋が必要だという提案があったが、わたしは楽屋というのは凄くいい比喩に思えた。また、あちらか、こちらか、と潔く分けられず、性格的に対立するものを飲み込んで、あちらもこちらもで生きてきたという著者だが、それよりもフレキシブルな、今という時代に生きるひとには、英語のand /or の感覚に近い、“とか”で並列させる感覚で生きるのが相応しいのかも、とも言っていた。全て100%で欲張らなくても、成果もゆるく捉えて、あれとか、これとか、それもとか、やりながら全体で、80でも90でも100に近ければ、それだってOK だろうということだったと思う。わたしはいわゆる負け組だし、世間の価値観が、みんながみんな、スタンダードに生きられるわけじゃない、そっちだってあってもおかしくはない、と多様性に対し、ゆるく、寛容になっていくことなら、だいたい何だって有り難いとは思う。
今日はほんとうは、1つ最後になって、何でそれには触れないの!? 、と気づいて不満に思うことがあった。よく考えると、そうする意味もわかる気がしてきた。だからケチはつけない。わりに面白いと興味を惹かれた話題や印象的なエピソードなど、断片的な感想を書いた。今週はわたしにしては本当に異例中の異例、平日も木・金の夜に予定が入り、休みの土・日も連続で外出の予定。連チャンが全くダメなタイプ。もつか自信ない。夜の会食の連チャンはないのだけが救い。
今日のところはこの辺りで。読んでくれたひとにはほんとうにありがとう。わたしには過酷な。新しい週がやってくる。新しい日が、新しい週がまた、みなさまやわたしを、どうかやさしい迎えてくれますように。お休みなさい
by 828summer
| 2016-12-11 15:21
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