2016年 11月 03日
フランクル > ロゴセラピー 後半(C日記③ 98日め) |
今日は先週末の講演会の続きの話に、トライしてみることに。わたしはまとまりのあることを把握して、その量的に多いものを上手く展開していくのが、どうも苦手なようで。わりに自分では性格を、粘り強い方で、長距離走は向いてる気がしてたが、頭の中や思考や記憶なんかは違うらしい(^_^;) 終わらせないままも気持ちが悪いので、無理せず今の自分の身の丈で、まぁ書けることをと…。予めこのくらい言っておいてから始めます。ご用とお急ぎでない方、以下のような話に興味があれば、まぁ読んでみられてもいいかと…。
講演は前半に書いたように、ナチスの強制収容所での体験を基に、「死と愛」、「夜と霧」などの本を著したV.E.フランクルの、創始したロゴセラピーを、実践している心理学者のお話です。フランクルの人間観、人間像は、生きる意味や生きがいを失って、そのことで苦しんでいる人に、有効な考えの1つになり得ると感じていて、相談の基盤になる考えだと思っている。今日はその話を少ししてみたい。そんな風に講演は始まった。
生きる意味が分からない。なぜ自分ばかりがこんな不幸にめに遭わないといけないのか。明示的ではなくても、生きるのが辛いと訴える内容が、実は生きがいを、失っていることからくる悩みのように感じられる。日常こういった悩みは普遍的なものなのだろう、やはり一定数は受けることがあるだろう。突然の災害、重い病、失業などは、なぜ自分ばかりがと感じる典型的な出来事だが、それを悲しくてやりきれないと、絶望に沈み込んでしまう人も多い。
でも同じ状況でも全ての人が、同種の心理的な危機に陥る、という訳ではないらしい。危機に陥る人にとっては、その出来事により、その人が生きる基盤としてきた、価値や意味の体系が崩壊する。いわば生きがいを突然に失い、新たな生きがいはまだ現れていない、そういう不安定な状態に置かれる。そうした状態に人は、なかなか耐えられるものではない。そこで意味を見失った人は、生きる意欲を失い崩れていく。フランクルのいた強制収容所でも、同じことがあった。
端的で象徴的だが、フランクルの本の日本での題の「夜と霧」は、原題では“それでも人生にイエスという”だったと言う。フランクルが収容所で、生き延びる人を見聞きし、実際自分も体験する中で、その基になったと思うのは、「それでも」と思い、「にもかかわらず」の気持ちで、生きる方を向こうとする態度。倒れるほど労働に疲れていても、夕日の美しを眺めに外に出たり、自分が飢えている時に、仲間に食べるものを分け与えようとする、生きる世界の美しさや人を思う心、「それでも」の精神の力だったらしい。
この経験からの確信をベースに、フランクルはロゴセラピーを創始した。生きる意欲を持てないような、人生の深い悩みに苦しむ人が、自分で生きる意味を見いだすことで、その圧倒的な力で一瞬のうちに、その人の心が生きていることの喜びの方に、コぺルニクス的転換を起こす瞬間にも、カウンセリングを通じ何度も出会ってきた。宿命的なこと、起こったことは変えられなくても、人間にはそれに対し何を考え、どういう態度をとるか、それを選ぶ自由意思がある。人生全体の意味なんて分からないが、その時その場所で、人生から自分に求めてきている課題、使命のようなものを、見いだし選びとることはできる。自発的にそこに意味を見いだし、内なるロゴスの力と言ってたが(使命や生きがいみたいなものか)、それが活性化すると、心身の生きるエネルギーが、圧倒的な力で湧き上がるということもあるらしい。
また意味は、一人一人の人に、その時々の置かれた状況によって、個別具体的で極めてユニークなもので、一般的な意味というものはない。だから必ず存在しているし、自分にしか本質的には、意味を見いだすことはできない。セラピーは水際にロバを連れていくような(あくまでそこで水を飲むのは、悩んでるその人にしかできない)、相手に寄り添う援助でしかない。ただしロゴセラピーは、その場に対しかなり介入的な、個別具体的で当意即妙なアドリブで、クライアントが一瞬に意味に気づく、そのようなことを目指すようだ。生きることの極限から生まれた、人の生きる力を引き出すものなので、その意味も真善美のような、単なる生きる目的、希望を取り戻すと言うよりは、一段崇高な感じのもののようだった。
失っていた生きる意味を見いだした時に、如何に人の心が圧倒的な力で、生へのコぺルニクス的な転換に至るかという事実には、演者の示した例を聞くうち、宇野千代著天風先生座談の話を思いだし、わたしもまた一瞬にわかった気がした。それは悩み多き、正しく生きる意味に悩むわたしが、若い頃から長らく親しんできた本で、未だにわたしの中でその結末の話は、強く印象に残っている。天風先生(中村天風さん)は、死の病を抱え世界をさまよい、最後はインドの高位のヨガの行者の元で、心が変わればお前の命は助かると言われ、さしてやりたくもないのに、助かりたい一心から毎日山奥で瞑想の修行をしていた。お前の心の中には、今のお前に必要な大切なことを知るもう一人のお前がいる。そのお前が出て来て必ず教えてくれるから、それまで何年でも座って瞑想を続けろ。嫌なら日本に帰って死を待つか、そうするかしかお前には道はない。そう言われ、嫌々ながら他にすることもなく、明くる日も明くる日も座り続けたとか。でもある日やって来るわけです。病を克服する起点になった、瞑想中のある気づきが。それはフランスにいるときに、面白いから読んでみろと、サラ・ベルナールに勧められて読んだ、カントの自伝(伝記?)の話だったそうです。幼い頃、背むしで病弱だったカントは、いつも体が辛い辛いと、親などに泣き言を言っては暮らしていた。不憫に思った親はある時、村に医者が巡回に来た時に、カントを診察に行かせた。医者はお前を可愛そうだとは言わないよ、と言ったらしい。可愛そうなのは、その背むしの体を見て思うだけのことで、お前の心はいたって健康だ。毎日、体が辛い、痛いの言って泣き暮らしたって、痛いのが治るわけじゃない。だったら健康な心の方に感謝して、ありがたいことだと思って暮らしたらどうだ。それがお前に与える処方箋だ、薬は入らない、さぁ家に帰りなさい、と。それに素直に反応したカントは、そんな心持ちでいたら、体の痛みやら苦しみには何か変化はあるのか、それがよいと分かれば、同じような人の助けにもなるのでは、とまで子ども心に考えだと。作り話かも知れないが、天風先生はそれを読んだときに泣いたらしい。すっかり忘れていたが、瞑想中にそれを思いだし、自分の病の意味を見いだしたとか。それからの天風先生は病を克服し、詳しくは知りませんが財界、政界に信奉者を多く擁した、独自の精神統一法を創始したらしい。
そんなことを思いだしたわたしは、ロゴセラピーの基になる意味を見いだすと言うのには、そういう力があるんだろうと直感的に感じた。セラピストは、悩みにある人の話の中から、精神次元から出ている思いをキャッチできると、クライアントのまだ未分化ではあるけれど潜在的な、生きる固有の意味に寄り添える、そんな援助をしていける可能性が高くなると。先生によると見分けるヒントは、人に尽くすとか、志のようなものとか、世界の美しさに感じる心、とか言ってた。今は生きる意味なんて言われても、果たしてそんなものはわたしにあるのか!? 、とまいってしまう感じのわたし。意味のヒントも、そんなに気高いものである必要が、果たしてあるのか!? 、とまだ疑問符付きの納得の仕方。
まぁ、書くのに力が入った部分も一部あったような、全般的に中途半端でそのエッセンスのどれ程も伝えられなかった、と最後になってがっかりもするが、これ以上は今はもう拘らずに、ここでこの話は、一旦おしまいにします。今日のところはこのあたりで。読んでくれたひとにはほんとうにありがとう。新しい日がまた、みなさまにもわたしにも、それぞれによくありますようにね
by 828summer
| 2016-11-03 17:59
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