2016年 05月 09日
掃除機に謝る!!(C日記② 22日め) |
今日は休み明けの初日、特にお昼までの間の仕事中、ストレスを感じているのを意識しつつ過ごしていた。社会に出て長いし、ほとんどずっと働いてくることはきた。今にして思えばそれも良し悪しだったが、わたしの場合は、対外業務の少ない仕事に就いていた期間が長かった。
そういう職場というのは、内部の人間関係も含めてそんなに建て前が必要とされないような気がする。印刷会社の時はひたすら文字とかが相手。派遣時代のメーカーでの勤務も、裏方で前線を支援するような部門にいたので、売上とは直接関わりなく、前線の働きが上手く機能するようなお膳立てだったり、後始末だったりをするような立場にいる。ここがちゃんとしていないと、前線も上手く機能しないのだけど、表に立つわけではないので、やっていることは対外的には、誰がやっているのかには意味がなく、どのようにやったかだけが対外的にも、会社としても意味をなす、言わば無名の仕事をしていた。
責任はそれなりあるのだけど陰の人というかね。それだと誰の役に立っているのか、分かりにくくて働き甲斐がないと、もしかしたら前線に立つタイプの人などは思うかもしれない。でもわたしのタイプはそうでもなく、あまり普段別に感謝もされなくても、自分の仕事が自分の納得できるような感じにアウトプットされいて、いつもまぁよくやってくれてると、お陰で後行程がスムーズだと、その程度に受け止めてもらえていれぱ、それで十分満足していられた。たまに無理なことを頼まれて、何とかその無理に間に合わせて感謝されたり、別の部門の人から頼まれた仕事に、いつもと違う人から違う視点で感謝されたりすると、ちょっとだけ余計に、わたしも役に立っているだなと見えるように感じられて、まぁちょっと嬉しいような気がするくらい。
そうやって過ごしていた期間が長く、自分のタイプもそうやっているのが、一番無理なく自分に沿って生きられる形だったようで、おおむねそこに安住してきた感じだ。派遣を辞めてからは、前線に立つような仕事をやむなくするような感じが暫く続いてた。案の定というか、上手くはできず、一定期間は大きいストレス、抑圧を感じながら、内外には不響和音を立てながら、上手くできないなりにやっていた。何とかそこからは脱け出して、離脱して、今はその前線と後方部隊の中間の、どちらも往き来するようなところで働いているのかもしれない。
ここでは、やはり建て前が前よりだいぶ要る。外の顔が要求される。ボランティアも似たようなものだけど。でもあまりきれいにまとまったところに納まるのが、わたしなどはどうも苦手なようで、そういう顔を作ると何か別の人を演じているようで、強い違和感を感じ、気持ちが焦ってる時みたいにざわざわしてきて、何となく落ち着かずストレスみたいに感じ始める。社会に出てから、またそれ以前もおそらく似たような感じだったろうから、人生全体から見たら、わたしが今のように振る舞っている期間は、ごく短いとも言える。だからまだやり慣れないので、しょうがないのだろうと今こうして、書いていて思い始めたところだ。
今日は久しぶりの仕事だったが、調査の電話の応対や、外部からの問合せ対応や、外注さんや本社の担当者への連絡もしたり、苦手なパートさんたちと鼻付き合わせて仕事するひとときもまた再開され、本音を隠し隠し様子をうかがう必要のあることが一気にわーっと来て、それであんな気分になったのだろうと思えてきたら、ちょっと明日からが楽になった。
実は会社でや会社帰りは、こういうとき手っ取り早くなら、笑うのは良いかもと、どうやって笑おうかと考えていた。YouTubeで落語というのが、ちょっと前はわたしの考えつくことで。そんなことを考えながら、これまででわたしが思いっきり、あれは腹から笑ったなと思える時のことを思い出していた。これもけっこう効くかもと思った。子どもネタはまたそこはかとなく面白い。いつか読んだ五木寛之のエッセイだった。子どもが親から諭すように言われた。「○○ちゃん、あなた悪いことをしても、分からなければいいと思うでしょ。でもそんなことないのよ。誰にも分からないから平気だと思っても、神様はちゃんと見ているの。あなたのした悪いこともちゃんと見ていて、それを隠して嘘をついてるなと思うと罰を与えるのよ。嫌でしょ、そんなの。だから、もし悪いことをしたら、隠さないで、しょうじきに言うのよ。しょうじきに謝るのよ。そうすれば神様も、あなたがもし悪いことをしたとしても、反省しているわかり許してくれるからね。いいわね。分かったわね」、と。
最初その子のお母さんは、自分の子どもが何をしようとしているか、分からなかったらしい。子どもはその後で部屋の隅に行き、そこにある掃除機に向かって、真剣そうな面持ちで何やら、むにゃむにゃ、ぶつぶつと、しきりに一生懸命に話しかけていたらしいです。「ごめんなさい、ほんとうに、ごめんなさい」、と。掃除機に謝る。子どもは真剣だったんです。わたしはこれにはけっこう笑いました。今でも笑った時のことを思い出すと、あの笑った後に感じた心地よさまで思い出すような感じで、しばし気持ちよさを感じられるくらいです。五木さんと違い、話し方の再現が下手で、この面白さを上手く伝えれず残念です。
わたしにも、こういうことの引き出しが一応はあり、ちょっとだけですが、たねがそれでも中に入っているので、出してきて楽しんだり、重くなった思いを中和してもらったりできたりするじゃんね。実際に心から笑ったという感覚が、残っているというのが大事みたい。たねがもう少し増えるといいな。欲張りなわたしです。
今日は久しぶりの仕事で、なんだか全編がチェンジ日記になった。今日のところはこのあたりで。読んでくれた人にはほんとうにありがとう。帰るまでもってくれるかなと、思ったが絶妙に夕方から降られた。雨にも負けずの数日になりそう。新しい日がまた、みなさまにもわたしにも、バシャッ!! というよりはしっとりとやさしく濡れるみたいな、そんなよいものになりますように
by 828summer
| 2016-05-09 19:34
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