2016年 04月 10日
時間をかけて混ざり合う考えもあるのかなぁ!?(C日記 119日め) |
今日は苦し紛れのつれづれっぽくもありますが…。昨日Fさんとした話は差し障りが多く、興味深くなかなか考えさせられる話だったけれど、詳細まではお蔵入りの話なんですが。なかなか隣人は小説より奇なりという話で、またFさんはそういう人に多く出会っちゃう人でもあり、どうも安心して気を許して打ち明けられ易い人でもあるよう。
面白いところもあるが、人間の心のほの暗い怖さを垣間見る話でもあった。アイズワイドシャットという、鬼才キューブリック監督の、当時まだ夫婦だったトム・クルーズと、二コール・キッドマンが夫婦役をやった映画を思い出した。漠然としたイメージて記憶に残るだけだが、誘惑に駆られ夫の足を踏み入れた行為により、最後は夫婦ともに深い罪悪感を共有しあうような結末だったような。禁断の果実を食べてしまった後で、退屈なつまらないと思えても常軌に止まっていた世界は、夫婦にとり以後それまでと変わってしまったような、重苦しさを最後に味わうことになるようなトーンの話だった。
Fさんのしてくれた話も、あるレベルの人たち(トム・クルーズたちでなく、足を踏み入れた世界の方の人)には奇異や異常な感情や行為が(普通な人からしたら、こんなことがあれば壊れちゃうような)、単純な善悪をこえて、世間にはうまく隠されたまま、家庭のなか、自分のこころのなかに共存させて生きられる、そういうタイプの人がいるという話だった。抽象的だが、そういう人は才能は確かにあって、努力は工夫もすごいが、みんな決まった似たような特徴があるという。押し出しが強く、自分が前に出ていくためには、人に取り入り利用することなど何とも思わない、食うか食われるかの厳しさがいつもあって、心穏やかなんて、わたしの望むようなことはナンセンスにすぎない、そんなもの望まない、必要としてないのだという話。わたしが単純なので 、「だってFさん、そんなのこころは幸せじゃないよ、最後は破綻するよ」と言いがちなので、Fさんは「いつもあなたはそう言うけどね、それで一生すんじゃう人もいると思うよ。あの人たちはそんな平安より、欲望に生きたいんだよ」、と自分はその人たちを理解したくないし、ひんしゅくに思ってると、わたしの単純さを諭し教えるように言う。
これをあまり重い話ではなく、わたしたちは普通の話の中で同列に、時に眉をひそめたりすることもあるけど、わりに軽いトーンで話しています。いつもこの手の話の結論は、二人ともそれぞれ信じる、信じたいところが前述の通り異なるのですが、相変わらずにお互いに異なるいつも同じような考え方、自分の結論を話し続けています。そうしながらもだんだんにちょっとずつ、お互いの考えが混ざりあっていっているようにも、最近は少なくともわたしは感じています。わたしのように偏りのある人間は、こんなところも、友の存在はやはり大事だなと思う所以なのかなと思うこの頃です。
チェンジ日記。また明日からのわたしに告ぐ。頑張ろう!わたしの英気よ、出ろ出ろ!!
何だかへんてこりんなことを書いたような…。苦し紛れの戯れ言の日だとお思い下されば幸い。今日のところはこの辺りで。読んでくれた人にはほんとうにありがとう。また新しい週の始まりですね。みなさまにもわたしにも、またよくありますようにね。おやすみなさい
by 828summer
| 2016-04-10 21:05
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