2016年 01月 24日
何気ない休日のしあわせ&読書雑感(C日記 43日め) |
今日は1日のんびり家で過ごした。井浦さんのこのコーデュロイのジャケットの感じ、すごく好きだなぁとな思いながら、日曜美術館を見た。朝ごはんを用意してる内に始まってしまい、また生憎途中にお隣さんが回覧物とお裾分けを持ってきてくれたりで(もちろん嬉しいしありがたい)、全体を通して集中して見られず、きちんと把握できてないのだが、韓国でよく知られた画家の特集で興味をひかれる人物でもっとしっかり見たかった。
南北分断で家族とは引き裂かれたり、日本人の妻や子どもたちとも事情があり日本に帰して離れ離れでいて、単身韓国で絵を描いていたようだ。日本の家族に深く思いを馳せ続けながら、その後は会うことが出来ず若くして不遇に一人亡くなっている。ゴッホやモディリアーニのように、自分の芸術が時代に認められず、亡くなってから評価されたタイプの、内発の芸術の衝動に突き動かされ、それ以外にうまく立ち回れない作家だったようだ。
その絵、わたしは好きだなと思った。日本の妻と子に宛てて書いた、絵入りの愛溢れる数々の手紙が残されていた。力強い筆致の宛名書きに思いが溢れているようだった。朗読される文面、離れたところで、いつも片時も忘れず、深く強く思っている気持ちを書き綴っているのに、胸が熱くなり涙が出た。
朝から昨夜作ったカレーを食べ、その後はゆっくりお茶を飲みながらデザートに、リンゴやチョコレートやクッキーまで食べてゆったりした。ちょっとだけ洗濯して(真冬日で低温だし、強風も心配で今日は室内干し)、後は1日読書。新年になり、ゆっくりの読書は考えてみたら初めてのような…。遅い読書初めである。合間に昼寝したり、鑑定団を見たり、遅いお昼を食べたり。わたしはこういう何でもない1日があるのが何より嬉しい。
今日はようやく、加藤諦三著「モラル・ハラスメントの心理構造」(副題:見せかけの愛で相手を苦しめる人)を読了。買ったのが1月6日だったので、実に読了まで19日もかけている。
151頁辺りにきて、わたしの中でも、おそらく本としても急展開。この辺りこの本の主張の肝であると思われる。今日は中盤から読みはじめたときから、文体に読むときのストレスが感じられなかった。けっこう論を進めていく時に、繰り返し繰り返しリフレインのように同じようなことを、角度を変えて畳みかけるように、最初の比喩を一旦置き去りにしたりしながら、すっきりした印象の文章ではないんだけれど、ようやく加藤さんの内容へのスタンスが掴めてきて、しかも好ましい形で理解されたのもあり、俄然面白くなってきたというところで、その箇所に突入。
肝と思われる部分に差しかかる少し前から、仲良く譲り合ってとか、お互い様だからとか、良識に従ってとかの人をがんじがらめにする言葉で、相手のこころの隙につけ入って人を利用したり、支配しようとするようなモラハラをする人は、質の悪い人で、その人の言うそんなモラルは、一般の場面で語られるモラルと一緒に考えてはいけないというようなことを言っている。
それはテレホン人生相談に代表されるような、理不尽な人に苦しめられ病気になったり、自殺したいほど悩んだり、さまざまに不幸な気持ちを抱えて暮らしている人の相談をこれまで沢山受けてきて、可哀想な人を嫌と言うほど見てきた加藤さんだからこその見識。そこから導きだされる結論は、モラハラの加害者も心理的には不幸かもしれないが、先に病気になったり自殺したり、うっ屈した思いから無差別殺人のような社会的犯罪まで起こして、破滅的になるのはモラハラの被害者の方。だったら、どっちを救うかって言ったら被害者の方だと。
そう考えた時に、人間には人を利用することを平気でする質(たち)の悪い人間と、そうでない質の良い人間がいることに目を向けることがポイントになってくる。それをきちんと見極めること、見極めて適切に対処することが、その被害者になって苦しみ不幸に生きる人が、自ら救われる道であるようだ。
加藤さんは、利用されて苦しむ人に幸せになって欲しいんだ。それが真意なんだと思えだしてから、急速にわたしの心は素直にこの本に引き寄せられ出し、面白くなっていった。
わたしが、この本の肝だと思われる部分には、こう書かれている。
〈以下引用〉
要するに、幸せな人になりたければ、不安に耐える能力を身につける以外に方法はない。そのためにはモラル・ハラスメントの心理構造を理解することである。
それは日々の努力しかないのである。悔しいときに、悔しさを我慢するだけでは何も生み出さない。これは自分が成長する機会と受け取らなければならない。
~中略~
長い人生では燃え尽きない限り、我慢したほうが幸せになれる。その時その時は我慢するほうが辛いが、最後には我慢したほうが幸せになれる。
もう一度言う。そのためにはモラル・ハラスメントの心理構造を理解しておかなければならない。暴力によるいじめではない。モラルによるいじめであるから理解が難しい。
〈引用終わり〉
ただ耐えるだけでない。逃げるときには逃げ、闘う時には闘うことが必要だと言っている。
また意識的不安に耐える個人の能力と身心の病気へのなりやすさ、なりにくさは関係があるとも言っている。
モラハラにさらされるようなであろうし、おそらく他の理由であれ、(精神的)不安に耐えられる人は、神経症的な行動も示さず、病気にもならないだろう。一番病気になる傾向があるのは、不安に耐える能力がないのに、いい人を演じている人だと言う。おそらくわたしが思うに、平静を装わなければと規範意識の強い、本音を隠す人も同じだろう。
こうした上での、耐える能力を養う必要なのだろう。そして闘うものを知らずには闘えない。正体が分かれば闘う勇気もいずれは湧いてきたり、対処法も考えられるだろう。それ故のモラル・ハラスメントの心理構造の理解の必要を強調しているのだと思う。
改めて良書でした。人間関係に苦しむ全ての人にとり良書だと思いました。
今日はこじつけでなく、わたしにとりこの本の理解自体がチェンジ日記的でした。
今日のところはこの辺りで。読んでくれた人にはほんとうにありがとう
by 828summer
| 2016-01-24 20:49
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