2015年 12月 23日
今朝の目覚めはよく(C日記 11日め) |
休みなので、今朝は8時からの朝ドラをリアルタイムで観た。ヒロインが嫁ぐ時に実家から連れていったお付きの女中(原案本で読んだ時も、実家から同様に一人そういう人を連れて行ったとあった。本では呼び方は腰元と言っていて、江戸末期の商家の家の人の側でお世話をする女性も、お城にいるお付きの女性たちと同じ呼び名をするんだなと、へ~っと言う感じがした)のうめを友近がやっている。行動的すぎるくらいに前のめりで、時に手綱を締めないとどこまで行ってしまうかわからないようなヒロインに、ぴしっと意見したり、嬉しいとき辛いとき側にいつも寄り添い見守り支える、使用人であり母や姉のようでもある、しっかりしてあったかい心をもった役柄を好演している。うめはこうして一生結婚もせず、あさちゃんにひたすら仕えるの?と思っていたら、独り者の大番頭さんといい感じで、この間は遠方に役目で行ってる番頭さんからうめ宛に手紙がきて、縁側に腰掛け足をうれしげに少し動かしながら、ややにんまりして読んでるとこなど、うめよかっねと思わず口から出て、友近うまいなと思った。
天皇誕生日だったんだよね。朝ドラのあとは天皇・皇后、皇室の方々のこの一年を振り返る番組になった。今年は1万人の日本人の亡くなったというパラオに行かれ、戦没者に追悼された様子や、見ながらああそうだったなと、鬼怒川の災害地にも出かけられ被災者に温かい声をかけられ、災害の跡の生々しい土地には膝まづかれるようにして祈っている姿を見て、この方々は本当に自然に宿る神聖なものに祈り、国民を心から思い、第一にそれに生きているのかななどと思う。話題の佳子さまも、手話を交えてスピーチしてる自由闊達な姿を見て、言われているイメージが何となくつながった。
前の週末が2日続けて出かけたので、疲れもあったし、今日はのんびりストーブの近くで温まり気持ちよく過ごす。
昨夜はわたしは状況をコントロールしようとしすぎなのかなと、そんな風に書いた。朝の目覚めのときにスッキリと、その通りなんだと思える。わたしが自分のものでもない状況を、何とかしようとなんてしなくていいと(なくてもなるようになっていく、寧ろ邪魔にもなる余計なお世話と)、そう気づくと力の抜けた楽な気持ちを覚える。わたしはわたしのことをやっていくのだ。勇気を出して。自分のやりたい選んだ道なら、大変はあっても当たり前だ。明るく楽しくわくわくするような気持ちで、働き生活し生きている未来に気持ちが向く。まだよく見えてこないけど、わたしこれで今はけっこう元気もあるから、大丈夫でしょうと今日は思える。
のんびり過ごす間に、YouTubeを聞いたりもしてて、検索の履歴に河合隼雄があるのに目が止まった。この間、村上春樹との対談を読み返したくて、本棚にあるはずと探したんだけど見つからず、ちょっと心に引っかかっていたので、河合さんの講演を視聴する。没後暫く経つからか前より余計に目ぼしいものが少ない感じがし、階層を広げて探していくうちに、昨年辺りに読んだ、アドラー心理学の入門書的な、「嫌われる勇気」の著者へのインタビュー(本の販促用かな?)にぶつかる。合計10分ばかりのものだったけど、本読んだ時にも思った気がするが、その考え方からは、わたしには自由を感じる気持ちのよいバイブが伝わってきた。人に嫌われるというのは、ある程度自分の言いたいことを言って、やりたいことをやって生きている証拠、その代償だと話しているのを(逆の人はちょっと今は、大変な可哀想な状況にあるみたいに)聞いて、嫌われる辛さを少し慰撫される思いがした。
今夜のところはこの辺りでおしまい。読んでくれた人にはほんとうにありがとう。明日はイブですね。みなさまにもわたしにもよい日になるといいな
by 828summer
| 2015-12-23 20:28
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