2015年 11月 18日
兄弟、姉妹たちへ(生きもののこと) |
日本人の著者の本ではよく後書きなどに、直接的に最大に出版に尽力した編集者を筆頭に、本の内容に関わる重要な情報を提供してくれたり、暗礁にのりあげたときに陰で支え導いてくれたりなど本の完成になくてらならなかったであろう何人もの人たちの名を挙げ、最後にそれ以外の人たちの力のそのどれか一つ欠けても、このような本にはならなかったであろうとの意味を込め、その他すべての人に感謝しますというような文面をよく見かける。たとえ儀礼的なものであろうと、わたしはそういう箇所が出てきてそれに触れるのはけっこう好きである。
けれどそこには、全ての兄弟、姉妹たちにみたいな表現はみた覚えがない。わたしは翻訳ものの方が読む機会は少なく、また改めて考えてみたこともなかったので、相対的な話として言えないが、少なくともわたしの繰り返し読んでいる何冊かのアメリカ人の著者の本には、冒頭の謝辞に普段自分を支えてくれている家族や親しい友人、隣人、同僚に加えて、そんな表現が付け加えられていたような気がする。文化的なものが多分にあるのだろうが、わたしは(God ) bless you と並んで、この人へのゆるやかなやさしい愛に満ちた係わりの示しかたにひかれる。
くしゃみをした人に、間髪いれずにそう呟く時の感覚は、幼いときに聞いて言葉を覚えてしまって反射的に出るような、神の祝福を!なんてほどの意味はないんだろうと思う。
でもわたしはいつからか、救急車を見たときと、特に子どもや年とった方が頑張ってるなというような場面を目にするときに、恥ずかしいから直接応援する言葉を伝えるすべもなく、ほぼ反射的に口のなかで聞こえないような小さな声で、そう呟くようになった。
日本人のわたしには、“なんまいだ”でもいいんだろうが、それが本来こんにちはくらいの意味だとしても、特に救急車にかける言葉には成仏してくれみたいで、具合が悪い。それゆえにほかに良い言葉がまだなくてbless youと。 そんなものでも、「ブラジルの一匹の蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を引き起こすか?」の詩的な比喩で知られるバタフライ効果で、まわりまわってゆけばいいなと…。
わたしとって、動物と暮らしていたときにも、まな今も、同じ経験をしたものとしてというような場所から語りかけられ、読んで以来だいぶおぼろげになったものの忘れられないことが二つある。
一つは、わたしはあるガーデニング雑誌を写真が好きで時々買っていた時があったが、その中のインタビュー記事で読んだ。外務省勤務で長年大使とか領事を歴任し、家族で各国を点々として移り住まれていた方だった。各国を移り住むあいだにに子どもは成長し離れていかれ、家族として連れてあるいていた愛犬の方は老いて亡くなっていた。その犬のお骨を今は連れて夫婦で暮らしていた。子どもには夫婦の後に残った方と一緒に、愛犬も一緒のお墓にいれてもらうように頼むことにしているというような話をしていた。わたしはまだ犬の生きていたときだったけど、犬のお骨を連れながら歴任を続けたというのが、すごくあたたかい気持で心に残った。
もう一つは書名は出てこないが、版型が定型でない、ばななさんのエッセイの中にあった。ばななさんは、「犬が死んで辛くて、こんな辛い思いをするならもう犬なんて飼わない」と、そう思うのももっともだけど、それを乗り越え勇気をもって、また次の犬を飼うのをわたしは勧めますというようなことを書いていた。
事実そのように彼女はしていて、犬をまた飼うことにより、前の犬を死なせてしまった後悔にさいなまれたり、その犬のことを思って切なく辛く悲しくもなるだろうけど、勇気を出して次に進んだその先には新しい犬のふと見せる仕草や癖、からだの動き、鳴き方、表情、感情表現などに、まぁばななさんのような豊かな感覚と表現の持ち主の書いていたことなので、うろ覚えじゃ追いつかないが、多分そんなようなものに、前の犬の面影を見て慰められたり、また会えたような喜びを味あう。だから勇気をもって飼って欲しいと自分は思うというのだ。生きものを慈しむ日々に味あう喜び、幸せ、やさしい暮らしを手放さないでと。
わたしの場合、どちらも読んだのは犬の生きていた時だったが、動物と暮らす場合の選択としては、どちらもいいと思うし、正解はない気がする。たまたまわたしは、先の方を選ぶ人生を今は送っているけれど…。
過去にわたしは犬が具合が悪くなった時に、ほんとうにそれしか思いつかず、毎朝出勤前に産土(うぶすな)というらしいですが、地元の神社にお参りに行っては気を紛らせていました。
それから死ぬまでの10日くらいの間は、家ばかりか会社に行っても、もう死んでしまうかもしれないという不安と、それを予期する悲しみで心がふさがれ、もう40を過ぎてましたが職場で毎日、泣きはらした顔で時に思い出しては泣いていました。60才近い課長に「おい、どうした、仕事は大丈夫か」と、呆れられながら心配され、派遣仲間や他の同僚にも同情に満ちたあたたかい慰めの言葉をたくさんもらいながら、恥丸だしなのに理性も働かずそうするよりない自分がいるだけでした。
不思議だったのは死んだ後のことです。焼き場で焼いてもらい、焼き場でもさんざん泣いて帰ってきた後、翌日にはあんなに自分ではどうすることもできなかった、辛く悲しい気持、重い暗い気持が、急に軽くなっていました。さみしいのだけれど、あの重い悲しい気持ちが消えていました。
わたしには、わたしの愛犬はサマーというのですが、その劇的な気持の変化ははっきりしていて大きすぎ自分では人知を超え不思議と言うしかないものですから、その時に思ったのはわたしにはできすぎた情のあつい気性のよい犬でもありましたので、「お姉ちゃんは自分がいなくなって耐えられないから、悲しみを一緒に自分がもっていってあげよう」と、そんな風にサマーがわたしの悲しみをもっていってくれたんだろうなぁ、ということでした。
ふと今日は、このようなことが書きたくなり、つらつらと書いてしまいました。読んでくれた人には、ほんとうにありがとう。動物と暮らすみなさまと愛するものたちの一瞬一瞬がpeaceful でありますように
by 828summer
| 2015-11-18 18:14
|
Comments(2)
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by
iomlove at 2015-11-25 18:56
こんにちは!
読書という言葉も本を読むという事をあまりにも知らない私に
とって、とても素敵な記事をありがとう!
とても読みやすくてわかりやすい文章だったのでありがたいです
そして 林檎の話も深い事が知れて勉強になりました。
聞いた話だと英国では林檎を皮ごと食べる事によって
アルツハイマーの予防になる。と耳にした事がありました。
今では両親に毎日 1個でも半分でも皮ごと林檎を食せ!と
ほぼ命令しています(笑顔)
色々 教えてくれて 嬉しい&ありがとう!!
読書という言葉も本を読むという事をあまりにも知らない私に
とって、とても素敵な記事をありがとう!
とても読みやすくてわかりやすい文章だったのでありがたいです
そして 林檎の話も深い事が知れて勉強になりました。
聞いた話だと英国では林檎を皮ごと食べる事によって
アルツハイマーの予防になる。と耳にした事がありました。
今では両親に毎日 1個でも半分でも皮ごと林檎を食せ!と
ほぼ命令しています(笑顔)
色々 教えてくれて 嬉しい&ありがとう!!
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828summer at 2015-11-25 21:31
Mちゃんさん
こちらこそ、ありがとう。
分かりやすいなんていってもらって嬉しかったです。
キリンのバッグのお話、すごく楽しく読みました。
犬も猫も生きものはみんな可愛いですよね。
チャッピーちゃん情報で、ミカン、イチゴが好きというのに、驚きました。
うちの犬(シベリアンハスキー)は雑食で、散歩中は好きに歩かせていたので、畑にできすぎてで、こいで捨てられた大根をむしゃむしゃと、かじり出したのには驚きましたが、そのくらいの生野菜や果物好きでしたが、すっぱいのは苦手かイチゴやミカンはちょっと食べて、もういいとそれ以上欲しがりませんでした。
好きだったのはリンゴとスイカ。
スイカは前足で押さえてなかなか食べ方が上手かった。
リンゴわたしもアルツハイマー予防に皮ごと食べてみます。よく洗って…。
教えてくれて、ありがとう。
ではでね(^-^)/
こちらこそ、ありがとう。
分かりやすいなんていってもらって嬉しかったです。
キリンのバッグのお話、すごく楽しく読みました。
犬も猫も生きものはみんな可愛いですよね。
チャッピーちゃん情報で、ミカン、イチゴが好きというのに、驚きました。
うちの犬(シベリアンハスキー)は雑食で、散歩中は好きに歩かせていたので、畑にできすぎてで、こいで捨てられた大根をむしゃむしゃと、かじり出したのには驚きましたが、そのくらいの生野菜や果物好きでしたが、すっぱいのは苦手かイチゴやミカンはちょっと食べて、もういいとそれ以上欲しがりませんでした。
好きだったのはリンゴとスイカ。
スイカは前足で押さえてなかなか食べ方が上手かった。
リンゴわたしもアルツハイマー予防に皮ごと食べてみます。よく洗って…。
教えてくれて、ありがとう。
ではでね(^-^)/